受贈詩書2018


「詩人会議」1977年11月号・創立15年記念対談のとき (撮影・近野十志夫)


「飛揚」50号発行

2010年1月8日発行です

特集 没後30年 黒田三郎の世界


目次

こぼれる水――みもとけいこ4

一本の街路樹――米川 征6 

――今岡貴江8 

繭を噛む――橘田活子10

大きな森を背景にして――土井敦夫12

水の記憶――清水マサ14

ユキヤナギ――北村真 16

冬の研究――葵生川玲 19

広島の顔――伏木田土美 

みぞれ――鮮 一孝

  • 特集・没後30年黒田三郎の世界 作品 

黒い蝙蝠傘のこと――青島洋子29

かみふうせん――北村 真 32

  • 特集・没後30年黒田三郎の世界 エッセイ

黒田三郎の詩に思う――くにさだきみ 34

  • 特集・没後30年黒田三郎の世界 アンケート36

津坂治男 小海永二 茂山忠茂 嶋岡晨 清水マサ くにさだきみ 

佐古祐二 大井康暢 鮮 一孝 浅井薫 今岡貴江 土井敦夫 上手 宰 青島洋子 葵生川玲 北村 真 

みもとけいこ 橘田活子 朝倉 勇 伏木田土美  米川 征 沖長ルミ子 小森陽一  

写真・近野十志夫、葵生川玲


こぼれる水


みもとけいこ

夜更けに

ぴたぴた

と 水滴の落ちる

音 がする

どの 水道だ

と 耳で探す

気がかりで

目を見開く

水っぽい

体を起こす

家中の水道を

トイレまで

点検する が

水の気配はない

それは

わたしの体から

漏れ出す水滴が

夜の地表を叩く音

時が

滴り落ちているのだ

あわてて

蛇口を探すのだが

滴り落ちた水は

わたしの形の

濡れた影になる

一日中

汚れた影を引きずりながら

走りまわる

夜にはほこりを払って

ベットの下に敷いている


今朝

いつも通りバスを待っていたが 

バスが来ないので

別の通りまで歩いた


   一本の街路樹     


米川 征

本屋が閉店して 

空き店舗になっている

その前がそこのバス停で

立って

通りの向かい側をながめていると

あったはずの街路樹が

消えていた

夕方 

無数の鳥が

店前の樹に集結して

騒がしく鳴きあうのを

誰かが出てきて追い払っていた

その街路樹が

失踪してみると

何の痕跡も

残さないのだった

一本の樹の消失は

しかし事実として

暮らしの

空気にその分の穴を開けていた


今岡貴江

あなたは よわいひと なのではないだろうか

じぶんだいすき というのは

よわいひと の 顔つき

みくだして

あやつろうとする こころ

じぶんだけは と

ハッタリをかまし カマをかけて

まるめこもうとするやりかた

正直であろうとするものを

とおざける こわいろ

あなたは よわいひと なのではないだろうか

じぶん不在の 帳尻合わせに

ビクビク コソコソして

こらしめてやるという きもち

じぶんだけが と

自由の頬をもつものを

追いかけまわし まとわりついて

救われようとするいきざま

あさってのパフォーマンス

おかどちがいで すじちがいな

よわいひと

どんな書類を弁護士につくらせても

あなたの影はおおきくならない

よわいひと

どれだけおべっかをつかっても

おもいやりのうまれない


いらっしゃい ここへ

はなしてみて あなたのことばで

はなしましょう わたしのことを

だいじょうぶ

もうこれいじょう それいじょう

かなしいことにはならない


繭を噛む

橘田活子

一羽の蝶が

つつむように繭を抱き

緑色をまばゆく揺らす 

五月の風のなか

ひっそり渡っていった

だかれた繭の

孵化しないまま

時が

からだと魂を育てる

        と

じっと待ちつづけ…

何をか

みてきたようで なにもみつけられない目

きいていたようでも 口を開かせようとしない耳

奪われていくものをも 追いかけようとしなかった足

ただ

蹲ったままじぶんを包んで

過ぎ去った

歳月のおもみとはなんだろう

老いていくことと

もういちどやりなおしたい とおもうこととが

曳き戻せない涯に

破り損ねた繭を噛む

一羽の蝶に

戻ってくることもあるなら

わずかばかり夏の気配を残し

草の絮が舞う

走りゆく秋のふかみのなかへ

わたりたい

大きな森を背景にして

土井敦夫

茫々たる闇の底を

はうようにして

夜明けは

傷だらけでやってきた

生命の限りを知った時から

目覚める度に

私は深い森の淵に立っていた

草木が呼吸し

幾多の生物達が存在している

森には 微少な生物の微かな息づかいや

ささやきさえも聞こえ

秘めやかな生死の輪を巡回している

この胸締め付けるような

郷愁の森を背景にして

目を閉じれば

草原を吹き渡る風は

神の羽毛となって私の額に触れ

空の高みに群れをなして飛ぶ鳥達は

またたく間に小さな点となって消滅する

この空のどこに

哀しみのありかがあるのか

この空のどこに

見失った神の痕跡があるのか

そしていつから

私は疾走する都会の喧騒の中で

あの声を見失ったのか


水の記憶

清水マサ

人智を試すように

災害が起きる

山峡から押し出された水は

瞬時にあふれ洪水の帯となり

低地に向かって疾走する

七月 山口の大洪水の道路を縫って

車を走らせた恐怖の記憶

九月の残暑の日

水の記憶をたどるために

日本海の河口から船に乗った

千曲川を源流とする

日本一長い新潟の信濃川を遡る

船底を揺らす水面の豊さ

セーヌの河口に似ていると言った

高田敏子さんの言葉が蘇った

新井満はオンフルールの海に例えた

河は人の記憶を浮かべて

心を洗い続けた

二時間足らずのクルーズが終わり

地上に足をつけると

揺蕩うものから立ち上がろうとする力が

新しい心を芽生えさせた

十月 テレビ画面では

スマトラ島の大地震が

くり返し放映されて

人間の視覚を麻痺させていく

手で掬う僅かな水さえない飢餓と

時としてあふれ出て

人の生命を飲み込む水と

水は人の一生を往還して流れ続ける


ユキヤナギ

北村 真

名前を

消してください

木村さんの奥さんが

昨夜おそく電話でおっしゃったから

個人情報だとか、

プライバシーの侵害だとか

難しいことはわかりませんけど

渡辺さんが空色の目で

掲示板を見上げている

二丁目の疎水に沿って

清水さん、時岡さん、城山さん、

下地さん、馬場さん、

それから高山さんの角を右に折れ

細い路地を突き当たり

きりん公園の左隣が

木村さんの

家だ

くじで決まった町内会会長、

渡辺さんの初仕事

白く

名前を

塗りつぶす

白く

家族を

塗り込める

友が丘

三叉路の掲示板

町内会案内と書かれた地図

あるのにない家

ないのにある家族

(木村さんが

ほんとうに消したかったのは何だったのか)

文字が浮き上がってこないように

ホワイトペンキを塗り重ねる

足もとに

ぽたぽたと

ユキヤナギの花がこぼれている


冬の研究

葵生川玲

    *

いきなり殴られると

何かが分かったような気がする。

一歩二歩 遅れて、

私は何かをしなければならないとおもうのだ。

      *

リーマンショックからサブプライムローンの破綻へと

属国を吹き散らすような風に叩かれる経済は、

見事に、新型の病気に感染して震えて見せる。

崩れ去ったのは

抜け殻で、

儲けを吸い取ったあとの妙に白々とした風景が拡がっている。

冬の時代の冬に

コートの襟をたてて、

遠耳で

思想家・レビィ・ストロースの一〇〇歳の死の報を聞く。

この世界も何かが終わり、

そして何かが始まっているのだ。

       *

これまで

分からないように殴られ続けて

馴れに慣れてしまって

今ではそれが当たり前のように

敗戦の空気が周囲に標っているのだ。

でも、生きているのだと思う

私にも感情というものがあって

ベースボールクラシックの連続優勝に

イチロウがはしゃいでいたのも

春のことだった。

押し込められた想いが発してしまう気のようなものが

涙と怒りとにほだされて

同調しているだけではないのか。

    *

この国の、歴史と文化

を見続けて流れ続けている河の両岸のテラスには

住人として、認知されている?青いテントハウス

常に無視するもの、排除しなければならないものの存在が

ある時は認知され、

それ以外は無視されているのだと。


広島の旗

伏木田土美

八月の広島の土を

初めて踏んだ

いきなり

いのちのありようを

問いかけてくる

深い緑から沸き立つ

蝉の声

昭和二十年八月六日

午前八時十五分

広島の日常は

原爆で焼かれ 吹き飛んだのだ

この蝉も また

と思った

時を忘れ

立ちつくした

原爆ドームは

三度保存工事が行われ

平和記念公園の一角に

被爆当時のまま残っていたが

ながいあいだ風雨に晒された

鉄骨のあばらに

薄れていゆく朱色があった

時間が許すかぎり

もっと私は

かたわらにいたかった

黄昏の近ずくドームのむこうの空に

幻のように 私は見た

広島の旗を

閃光に焼かれた人間の皮膚の旗を

それは死者達がためらいながら

差し出した

祈りの旗

いたみにふるえながら

それは空にあった


       みぞれ        

鮮 一孝

とうとう みぞれが降ってきた

空が泣いているようにも

見え

山々が

静まり返る

そこに 雪の気配が小記憶とぶつかる

 2

峰々は何の相談をしているのか

駆け足で去ってゆく

季節の悪口を言っているのか

時の蟠りが

解けるには 更なる半年を有する 

 3

ハナミズキの街路にみぞれが降りしきる

樹に伝う

夏の記憶が流れて

路面に溜まる

枯葉は もう旅立ったというのに

記憶はもたついたまま

急停止する

青信号が赤に変わる

 4

視神経が疲れて民家の低い軒に留まる

枯れた蔦が板にしがみついて

堕ちそうにもない

みぞれは

その間を縫うように

おそらく 臨界状態で流れてゆく

絶え間なくみぞれが降ってくる

その濡れた

モノクロの影に漂う飛沫こそが

故郷の記憶に近い

その空の下で 

産みの親と切り離され

低い土地への旅立ちでもあった

何処に流れてゆくか

このみぞれのように分からない

 6

暑い夏を思い浮かべ

鮮やかに変化した秋を懐かしむ

もう

その余裕さえなくなったのかもしれない

寒気団の中で

雨と別れ 大地を二分する

みぞれ 明日の活力を秘めて

 7

偏西風がうねって

蛇行するその谷間に故郷がある

何もかも閉鎖を意味する

風が吹き荒れ

その風に追われるように

みぞれは沁みすぎた大地を埋め尽くし

雪の気配を示唆する

 8

家長の不和がしきたりを固辞し

絶縁を意味する言葉の綾

その綾に隠れている門を通り抜けるみぞれ

空一面に広がり

どうしようもない悲哀が心の隅に残る

見上げると

雪になりきれない悲しい音が

その心に響き渡る

 9

遠くない冬の幕が上がろうとしている

小刻みに拍手をもらいながら前座を務める

愛想が尽きても

人恋しい目で大地を見つめる

そのいじらしさに

冷たさの中の暖かさに草木の記憶は癒される

 10

みぞれは ただ黙って街路を埋め

家の周りを埋め

無表情に 窓ガラスに激突する

仄かに曇る車窓に

雪になりきれない思いが重なり合い

慌しくも

静かに 記憶の薄皮に流れてゆく


特集 没後30年 黒田三郎の世界 作品

黒い蝙蝠傘のこと

青島洋子

ずいぶん遠回りしてしまった。

みかん畑の近道をやめて

あいまいな空を

行き先を決めないので

紫の稲光に捕まったり

港を出られないヨットに乗ったり

どこへ行ってきたのか

と問われれば

どうしてか

相変わらず

読まない本の部屋に座っている。

そこへいつも

回収車がやってくる。

「ご不要のものひきとります

ガタついた骨組み

部品取り替えます。

使えなくなった脳の張替えもします」

そんなわかりやすい話には

乗れないと聞き流す。

新しいうちに脳を使えばよかった

予定されて入れ替わる細胞の

言うことを聞いて

計算の合うことをすればよかった

何を待っていたか

忘れてしまい

ひどいどしゃぶりに

何度も線路に立ち往生した

そんなことで

回収車に

つけまわされるはめになった

はっと気付くと

黒い蝙蝠傘だけが

置かれていて

追いかけることもできず

そのままにもできず

遠回りにかかった時間を

認めるしかない。

傘の下が嫌いというのに

黒い蝙蝠傘だけが残され

回収車の狂詩曲が

遠くに聞こえる。

       

(黒田三郎に寄せる) 

かみふうせん 

北村真

くらやみのなかから

みつけた

あかやみどりやむらさき

いろあせたかみふうせん

ところどころ

ちよがみがはりつけてある

< 美しい願い事のように >

はじけるまで

むちゅうにうちあげた

あなからいきをふききこんでも

ふくまらなくなった

< 美しい願い事のように >

やぶれてしまったのに

たいせつにしまってある

へしゃげたかみふうせん

 < >内は、黒田三郎「紙風船」より


●没後30年 黒田三郎の世界 エッセイ

黒田三郎の詩に思う

くにさだきみ

 黒田三郎といえば何といっても『ちいさなユリと』に

描かれているこの詩人の゛人間くささ゛であろうか。

 コンロからご飯をおろす

 卵を割ってかきまぜる

 合間にウィスキーをひと口飲む

 折り紙で赤い鶴を折る

で始まる「夕方の三十分」が特に好きだ。光子夫人が

果て結核で入院した頃の、父子家庭さながらの情景。炊

事の合間にもウィスキーに手が行く自称のんだくれの父

と、次第に要求をエスカレートさせていくユリとの間で、

双方のイライラが極限に達して、

 ヨッパライ グズ ジジイ

 おやじが怒って娘のお尻をたたく

 小さなユリが泣く

 大きな大きな声で泣く

というクライマックスを迎える。

子育てにも家事にも不慣れな父親の酒瓶片手に格闘す

る姿は、黒田三郎という詩人の、優しさも人間くささも

浮き上がらせて、ドラマチックに展開する。

しかし、この詩人の真骨頂は、その後である。

 それから

 やがて

 しずかで美しい時間が

 やってくる

 おやじは素直にやさしくなる

 小さなユリも素直にやさしくなる

 食卓に向かい合ってふたり坐る

 妻のいない母のいないふたりの共通の淋しさが「ふた

り坐る」という終句で余すことなく描かれている。

 「夕方の三十分」だけでなく「洗濯」ではもっと人間

くさい黒田を自虐的に執拗に描こうとしている。「月給取

り奴」では「ぐずの能なしの月給取り奴!」とつぶやく

ことで黒田は黒田自身にたえている。そういう風に自己

の弱さも不甲斐なさも見せながら、それらのドラマに人

の暮らしの温かさや哀しさ滲ませ、゛生きる゛という行

為を美しく肯定的に描いている。

 黒田三郎の詩の魅力は、ことばの的確さであり平明さ

だと私は思う。初期の詩集『失われた墓碑銘』の「道」

や「夜の窓」を読むとその言葉の簡潔さ、的確さ、に驚

かされる。

  道はどこへでも通じている 

美しい伯母様の家へゆく道

  海へゆく道

  刑務所へゆく道

  どこへも通じていない道なんてあるだろうか

 と問い

  それなのに

  いつも道は僕の部屋から僕の部屋に通じている

だけなのである

  群衆の中を歩きつかれて

  少年は帰ってくる

 と書く。人と道とのかかわりを本質的に捉えた非

凡な一篇である。

 『リアリズムは詩の本道』と主張する黒田三郎の

詩には、感傷的なことばや観念的なことばは出てこ

ない。具象的すぎるほど具象の世界でその詩は成立

しているのであるが、物事の本質を捉える点で、実

に美しいことば使いの詩人だと思う。

 「紙風船」はそういう意味で黒田三郎の詩の極致

であろうが、それはリアリズムを基調にしながらも、

深いリリシズムやらロマンチシズムを内包し、読む

者に限りない希望と勇気を与えて止むことがない。

 詩人にはそれぞれ個性があり詩風がある。時代に

よっても詩の傾向は異なる。難解な詩もあれば歌う

ような詩もある。様々な詩風の中で、黒田三郎ほど

自然体のままの詩人は珍しいのではないか、この人

ほど日常の出来事をサラリと書いてしまう詩人はい

ないように思う。そういう詩人だから、傾向を超え

て時代を超えて、黒田三郎の詩は愛されるに違いな

い。たぶん「紙風船」は後の世の人にも読まれるで

あろう。そして希望を与える。


●特集 没後30年 黒田三郎の世界 アンケート

(到着順に掲載しています。)

津坂治男

  • 「日日に刈られてゆく」(詩集『羊の歩み』昭森社)

バスを待って停留所に立っていると

土砂を満載したダンプカーが

次々に疾駆してゆく

右へゆくのもあれば左にゆくのもある

東京のどこかがたえず掘りかえされ

東京のどこかがたえず埋められ

土砂は東京の町中を右往左往している

右往左往するのは土砂ばかりではない

何百万の人間が

右往左往している

彼らにきいてみたまえ

なぜ彼が練馬区上石神井に住まねばならないのかと

なぜ彼が台東区浅草橋に住まねばならないのかと

巨大なけやきやかしの木をめぐらし

背後に雑木林をしたがえた

わらぶきの農家が

まだ武蔵野には残っている

庭先に赤いスポーツカーがあったりするが

そこにはそこに住みつこうとした

無言の意志が残っている

しかしそれを告げるのは

もはや人間ではない

今では意志をもつものは

けやきやかし

ならやくぬぎである

そしてそれら意志をもつものは

日々に伐られていゆく

時代(人の世)に翻弄されながら生きていく人々と野の゛意志をもつ゛木々との対比―しかも意志ある存在も次々に消されて行く空しさ。それを今も生々しく感じさせる好篇で、これから詩人が未来に呼びかけた作品と言えるだろう。

  • 「生活の意味・詩の意味」(評論集『内部と外部の世界』昭森社)

詩は「つくる」ものであると同時に「できる」ものである、また、自分自身の卑小さ、みじめさを見つめて書くという日常的な詩に対する態度にうたれる。このテーマがその後、社会、人類の運命にまで同心円的に広がり、あとに続く世代をはげましてくれた、と思う。

黒田三郎は私より一回り上の羊―迷いながらも生き抜き愛し抜く弱者の味方という感じ、技法的には゛直叙法゛の良さというものをこの人から学んでいる。『ひとりの女に』『小さなユリと』も何度も読んでいる。

小海永二

  • 「夕方の三十分」(詩集『小さなユリと』昭森社)

ヒューマニズムと愛の詩。

彼はあまり、詩論を書かず、代わりに、日記を書いた。残念だが、ここではパスをしたい。

荒地グループの中で、最も民衆的なのが、そして僕ともっと近い位置にいたのが彼である。彼には確か、中也論があり、そこで彼は中也への批判的な文章を書いていた記憶がある。これは、「中原中也論集」の中に収められているはずだが、探しても見つからない。残念だが、今のところこの程度とか記することができない。

茂山忠茂

  • 「紙風船」(詩集『もっと高く』昭森社)

平明な詩です。しかし平明な中に、かくし味のような技巧もあります。「美しい願いごと」と「紙風船」は、相互に比喩が交叉しています。生きていく上で、人はある時は失意・絶望の境地になります。「何度でも 打ち上げよう」と詩う時、作者の生涯も視えてくるようです。

  • 「詩の味わい方」

この評論は、詩についての幅広い論評になっています。何よりも詩に親しむ初心者にとって、解りやすく要点を押さえて書かれています。「詩を読む時、自分の感情や知性を大切にする」という視点。「現代詩の難解さ」についての解説。「通念に呪縛されず、フランクに読む」など詩に向かう初心者にとって、大切な案内書として重要だと思います。

「詩人会議」2000年11月号で「黒田三郎没後二十年」の特集がありました。その中で私は、黒田三郎の妹吉原安乃さんに「兄・黒田三郎について」の話を聞いてね掲載しました。黒田三郎が軍人の家系で、しかも軍国主義教育の中で育ちながら、左翼的な考え方に傾斜した理由を聞いたら、安乃さんは「私たちが母から聞いたことは、子ども一人ひとりを親の勝手な考えで育てたらいけない。子どもも人格を持っているし未来を背負っているのだから、親の持ち物のように扱ってはいけない。ということでした」と話されたのを聞いて、なる程と納得しました。

嶋岡 晨

  • 「夕方の三十分」(詩集『小さなユリと』昭森社)

小市民の平凡な日常(私小説的)をとおして、不幸に耐え抗う人間のけなげさ・美しさが、あたたかく伝わってくる。

  • 「日本の詩に対するひとつの疑問」(評論集『内部と外部の世界』昭森社)

中原中也批判をとおして、詩に「弱い者の味方」としての方向を明確に与えた。

心配り細やかな、優しくて大きな男だった。酒が入ると、日頃抑圧している対社会的怒りが、ドッと酒乱めいて噴き出し、その様はじつに痛ましかった。

「僕の父は鹿児島、母は土佐の出でね…」と土佐人のわたしに電話でしみじみ告げてきたことなども忘れがたい。

清水マサ

  • 「そこにひとつの席が」(詩集『ひとりの女に』昭森社)

恋人よ

霧の夜にたった一度だけ

あなたがそこに坐ったことがある

あなたには父があり母があった

あなたにはあなたの属する教会があった

坐ったばかりのあなたを

この世の掟が何と無造作に引き立てて行ったことか

あなたはこの世で心やさしい娘であり

つつましい信徒でなければならなかった

恋人よ

どんなに多くの者であなたはなければならなかったろう

そのあなたが一夜

掟の網を小鳥のようにくぐり抜けて

僕の左側に坐りに来たのだった

(作品 二連)

黒田三郎が、詩集『ひとりの女に』の中に収めた愛の詩の中の一篇である。恋人を座らせるためにいつも左側の席を空けておく。「お座り」と「いつでもそう言えるように」詩の冒頭から、作者の透明感のある抒情が伝わってきて胸が熱くなる。霧の夜に、たった一度だけ恋人を座らせたが、それが恋人である女性にとって、いかなる背徳であったかを詩っていて、詩人の心の痛々しさ、優美さに打たれる。美しく、ロマンチズムの詩法ではあるが、読んでいて誇張感のないところに詩人としての深さを感じる。

黒田さんが亡くなる数年前であったろうか、詩人会議の会合の二次会で、居酒屋へ行ったとき、私が座ろうとすると、隣に黒田さんが座っておられた。こんな機会は滅多にないから座るようにと周りの人達が言ってくれたが、私はどうしても座ることができなかった。新潟の田舎から出席した私には、黒田さんの香気に圧倒されて、眩し過ぎたのだった。今となって、座って少しでもお話しておけば良かったという思いと、黒田さんの大切な隣のひとつの席に座らなかったことは、私の正しい判断だったのだとも自負しているが。しかし座っていれば三〇年後の今も忘れられない言葉を聴くとができたのに、残念な気もする。

くにさだきみ

  • 「夕方の三十分」(詩集『ちいさなユリと』昭森社)

好きな詩ということと、完成度の高い詩、純度の高い詩、ということとは違うように思います。後者で選ぶなら「紙風船」と思います。

評論は十分読んでいませんので、申し訳ありませんがノーコメントとします。(私の乏しい知識の限りでは「権力と詩人」が最も黒田三郎の哲学をよく表していると思っています。)

病院から抜け出して来た」と詩人会議の総会に参加され、「リアリズムは詩の本道であります」と言われたことが鮮やかな記憶として残っている。

佐古祐二

  • 「ビヤホールで」(詩集『ある日ある時』昭森社)

何をしても無駄だと

白々しく黙りこむ

すると何かが乱暴に僕の足を踏みつける

黙っている奴があるか

一歩でも二歩でも前に出ればよかったのだと

夕方のビヤホールはいっぱいのひとである

誰もが口々に勝手な熱をあげている

そのなかでひとり

ジョッキを傾ける僕の耳には

だが何ひとつことばらしいものはきこえない

たとえ僕が何かを言っても

たとえ僕が何かを言わなくても

それはここでは同じこと

見知らないひとの間で心安らかに

一杯のビールを飲む淋しいひととき

僕はただ無心にピールを飲み

都会の群衆の頭上を翔ぶ

一匹の紋白蝶を目に描く

彼女の目にうつる

はるかな菜の花畑のころがりを

(作品 三、四、五、六連全行)

好きな一篇というと難しいが、敢えて挙げれば「ビヤホールで」を挙げる。

沈黙と行動の間にあって逡巡しながらも〈良心〉に従って行動することは、現実に悲哀をも感じさせるがそれだけのものでないものがあり、かるがるしく美しく飛ぶ一匹の紋白蝶のイメージで〈良心〉を鮮やかに描いている。最終連では、その紋白蝶の飛ぶイメージと、その紋白蝶の目にうつるはるかな菜の花畑のひろがりを描いており、人間への信頼を感じさせる。

  • 「権力と詩人」(評論集『内部と外部の世界』昭森社)

読んだときにつぎの箇所に傍線を施している。1.政治にしても、道徳にしても、イデオロギーという結晶した形においてではなく、日々の生活を通じた個人の体験という具体的な過程のうちに、詩人の思想は形づくられるのである。2.詩人がひたすら言葉の想像力にたよっているという事実が、何よりもまず詩が精神の創造であることを意味するならば、そこには、体験を通した詩人の豊富な教養が前提されているものと考えなければならない。そして、それなしでは、詩がその言葉だけで民衆の胸に浸透するという現代詩の至難な使命は、決して果たされはしないことは明らかである。

黒田三郎は、喩が本来は詩にリアルな柱として働くものであるにもかかわらず、かえって喩がリアルなセンスの障壁化するというのは詩の自殺化であるという趣旨のことを強調してきた。これは、当時の詩界に対する批判であったが、今なお通用するものがある。

黒田三郎は、詩作においてその主張を実践的に示した。

黒田三郎は、評論では、その他の様々なテーマについて、深い思索と理解可能な論の運びで論じている。私の勉強不足であろうか、現在、詩についての評論を黒田三郎のような内実と方法で展開している人はなかなか見当たらない。

大井康暢

このアンケートの内容に就いては、すべて私の全評論集、第一巻『戦後詩の歴史的運命について』(沖積舎)に詳述してあります。ご参考にして下されば幸甚です。私も高齢者となりました。

鮮 一孝

  • 「夕方の三十分」(詩集『小さなユリと』昭森社)

だんだん僕は不機嫌になってくる

味の素をひとさじ

フライパンをひとゆすり

ウィスキーをがぶりとひと口

だんだん小さなユリも不機嫌になってくる

「ハヤクココキッテヨォー オトー」

「ハヤクー」

癇癪もちの親爺が怒鳴る

「自分でしなさい 自分でェ」

癇癪もちの娘がやりかえす

「ヨッパライ グズ ジジイ」

親爺が怒って娘のお尻を叩く

小さなユリが泣く

大きな大きな声で泣く

それから

やがて

しずかで美しい時間が

やってくる

親爺は素直にやさしくなる

ちいさなユリも素直にやさしくなる

食卓に向かい合ってふたり坐る

(作品 四、五、六連全行)

妻が入院し、父子家庭のような一面、その暮しの中に息づく様々な思い、味わったことのない人には少し無理があるのではないかと思うが、我が子のために尽くす、その思いは変わらないと思います。そんなところが身近に感じられ共感できる。

読んでいませんので、答える事はできません。

思い立ったように、本箱の中の探すが、ななか見つからない。どこに仕舞い忘れたのだろうか、確かあったはずと思いながら、本箱の大掃除のようでした。

手元にある黒田氏の詩集は、思潮社で発刊された現代詩文庫一冊しかありません。近隣の市営図書館に行っても、黒田氏の詩集、評論関係は一冊もありませんでした。

若い図書館司書に聞くと、有名な方でしょうか?とも言われ、がっかりしました。国語の授業で習いませんでしたか?と聞くと、覚えがないと言って、白を切りました。赤い鳥の「紙風船」は知っているでしょうと聞くと、聞いた事はないという。

ホントに聞いたことはない?カラオケにあるでしょう?と聞くと、懐メロは興味ないとのこと。他の職員に聞いてみると、半数の〈四十代以上〉職員が知っていました。これが現実かとがっかりし、そのことを傍らで聞いていた僕と同世代の副館長が、僕の質問に答えてくれました。黒田氏ばかりではなく、多くの詩集はあまり人気がないので期待するほど置いてはいません。二十年くらい前の頃だと、ある程度は置いてありましたが、年々借りる頻度の少ない詩集関係は処分の対象になったのではないかと思われます。

勿論、その後の補充はありません。寄贈さける詩集も少ないとのこと。申し訳なさそうに言っていた。黒田氏の詩集以前の問題かと思い、図書館を退出しました。

黒田氏の詩は、日常生活を題材にした詩が多い。石垣りん氏と同じように、活詩そのもの。僕も昔はよんだほうでしたが、最近は読んでいません。今回の企画は、もう一度読む機会を与えてくれたような気がしました。あらためてよんだ感想は、あの頃と少し違っていたが、本質的には変わっていないと再確認した一日だった。詩集は本棚の一番奥にホコリ塗れになっており、二十五年以上も月日が流れていました。

陽射しも落ち着いた窓辺で読み返し、心の中に、ほのぼのとしたものが残ったのは歳のせいか、と、感じました。むずかしくもなく、じわーっと染み透っていく言葉が快い。

浅井 薫

  • 「紙風船」(詩集『もっと高く』現代日本詩集21巻・思潮社)

一篇といわれれば、やはり「紙風船」(60年)である。しかし、晩年に書かれた「流血」(詩集『流血』80年・思潮社)や「開かれた頁」(詩集『ある日ある時』昭森社)なども忘れられない一篇である。「紙風船」は、黒田三郎の詩の原点に位置する作品だと、わたしは思う’

落ちてきたら

今度は

もっと高く

もっともっと高く

何度でも

打ち上げよう

美しい

願いごとのように

二連、九行から成るこの小さなちいさな抒情詩は、一見、社会性とはまったくかかわりのないかに見えるが、黒田三郎の詩の基石=日常生活の中に生きる庶民の視点から、社会や時代のあり方をあたたかくかつ鋭く見つめるという、強靭な意志と思想性に支えられている。

詩が人間を絶望へ追いやるためにあるのではなく、生きる希望を支えるためにあるのであれば、「紙風船」は黒田三郎の詩の原点に位置するだけではない。詩という文学の原点に位置すると言ってよい、普遍性を持っている。

「流血」や「開かれた頁jなどの晩年の名作も、「紙風船」を支えている、強靭な意志と思想性が生み出したもののほかならない。川崎洋が黒田三郎の詩について指摘した次ことばは、至言と言える。

「日本の詩歌には平談俗話と言う伝統の太い流れがあって、雑な区分けで言えば、黒田さんの詩もそこに入るかもしれません。しかし、平談俗話が、大ていは、日常の中に埋もれてしまっているのに、黒田さんの詩はそうではない」「モチーフは日常生活の中にあります。しかし、詩は心の記録として屹立しているのです」(新選現代詩文庫114『新選 黒田三郎詩集』思潮社)。

それは、やはり晩年の評論集『死と死の間』(花神社)に収載されている「現代詩と私」である。そのなかで、黒田三郎は、次のように書いている。

「……詩から詩を作り出す結果となり勝ちで、詩でないものから、自分自身の詩を生み出す力に欠けていなかったか。外国の知識教養に富む者ほど、自分自身の現実、つまり日本の、自分の生きている生活から、詩を産む力を失う結果になってはいなかったか」。

詩人たちは目新しい知識教養の移り変わりの激しさには、きわめて敏感だが、視野が狭く、世界が狭いのだ、と言い「知識人という名で避けられることは、この世に何一つない」と断定する。そして、また、詩のことぱや表現については「……″ロッキード疑獄″と言えば、それで何ごとかわかった気になるが、はたして何がどのようにわかっているのか。なまじことぱを知っているために、ことばだけでわかったつもりになる」「詩は美辞麗句ではない。表現の巧劣などでは無論ない。腐敗したことばのベールを引っ張がして、事実そのものを直視することである」「ロッキード疑獄を批判糾弾する詩人が、新聞やテレビで既知の語彙によりかかってばかりいては、事実を白日の下にさらすことにはならない」と指摘し、「″ロッキード疑獄″にふれた詩のほとんど無いことに全く驚き、いわゆる詩人たちの時代社会に対する関心の余りの乏しさ」にたいし言外に怒りを表明している。

黒田三郎は徹底して「自分自身の現実、つまり自分自身の生きている生活」とのかかわりを問題にし、静かにしかし腹の底から怒っている。さりげなく、しかしきぴしく期待している。誰に怒り、誰に期待しているかは言うまでも無いであろう。

(「現代詩と私」(「赤旗」77年1月12,14,15,16日)

挙げた理由はもう述べる必要もないであろう。あえて言えば、詩を書くものが心のどこかに常に持っていながら、詩を長く書けば書くほど語らなければならないのに、語ろうとしない詩文学の根本について真正面から書いていることにある。だからこそ胸を打つ。

う三十年近くも前に「風に真向かったままで黒田三郎の死」と題して書いたことで(浅井薫エッセイ集『路地のかがやきわが詩の周辺』)、やや長いがその一部をここに再掲する。

詩人・黒田三郎を語ろうとするとき、「紙風船」や「ひとりの女に」などの有名な作品とともに、どうしてもあの大きな体と。その前かがみにさせゆったりと話す話しぶりと、そして静かな口調のなかに込められた気魂とが、鮮やかに浮かんでくる。詩人・黒田三郎を詩人会議の運営委員長としての範囲だけで語るにはあまりにも狭すぎるであろう。黒田三郎さんは、日本の戦後の現代詩のなかにあって、決して欠かすことのできない大きな存在であることは誰もが認めざるをえないからである。しかし、いまはあえて詩人会議運営委員長としての黒田三郎さんについて記しておきたいと、しきりに思う。

「私は亡き壷井繁治さんのような闘士ではありませんし、ご存知のとおりラジカルでもないし、政治的な人間でもありません……しかし、左翼でもない筈の私が、戦後三十二年たった現在、見渡すと、何か一番左の方に孤立している。私は生来不器用です。

 す早い身変りのできる人間ではありません。これは時代社会が、いつのまにか右に非常に偏向しているひとつの証拠ではないか。詩の社会でも同じことか言えるんじやないか。詩人会議の皆さんとこのさい、力を合わせて、民衆のための真の自由と民主主義を目ざして仕事をしてゆきたい≒これまで私は自由と民主主義というようなことを言ったことはありません。いま新たなる決意をもってはじめて、そのことぱをロにした次第です」。

これは、一九七七年五月十五日、詩人会議第十一回総会で、黒田三郎さんが新しく運営委員長に就任したときの挨拶の一部である。

黒田三郎さんの運営委員長就任について。片羽登呂平さんか『詩人会議』(77年7月号)に「黒田三郎氏についての走り書き」を書いているが、そこで「詩壇の少数を除いて詩人会議に対する風あたりは、黙殺あるいは無関心を装ったもの」と現状を指摘すると同時に、それが作用して片羽登呂平さんのなかに「詩壇を横眼でながめる……習性が体質化」していたことを反省している。

この反省は、第五回詩人会議賞選考委員としての黒田三郎さんの「感想」すなわち吉岡実詩集『サフラン摘み』を総がかりに近いベタホメはするが、詩人会議賞となった滝いく子詩集『あなたがおおきくなったときに』には、一顧もしない詩壇、批評界の異常さ、不健康さを指摘し、滝いく子詩集を現代詩の一角に在ることを正当に評価する視野で現代日本の詩を考える――に触れながらおこなわれている。

この片羽登呂平さんの思いと反省は単に片羽登呂平さんのだけのものでなく詩人会議とその周辺にある多くの詩人たちのものであったにちがいない。

それは、日本の現代詩の世界の歪みは指摘するが、自分たちの位置をその世界とは隔離したところに置く、という消極性を正し、リアリズム詩を現代詩の鉄火のなかにおいて鍛えようとする積極的なものである。いかなる「黙殺」や「無関心」を装われようとも、そうはさせないという戦闘性であり、リアリズム詩に力をつけないと、現代詩全体が衰退するしかないという強い確信である。逆風に立ち向かうところ、風圧は強まる。黒田三郎さんは逆風に真向かって先順に立ったのである。そうした時の姿は、ほんとうに美しい。

「……いまでは服を開いてものを見る代わりに目をつぷってものを見ることが流行している。目を開いて何も見えない人間が、目をとじて見るものは、何であろうか。少なくとも目を開いてものを見ようとする人間なら、目を閉じると、目を開いて見えなかったものを見ようとするであろう。しかし、流行で目をつぶっている人間に何が見えるであろうか。僕は、目を開いて大いに見よ、目をとじて、目を開いて見えなかったものを大いに見よ、ということしかできない。少なくとも、目の前の流行に溺れるくらいなら、自分自身に固執せよと言いたい」
(「詩人会議」十五周年記念特集号「目を開いてみよ、目を閉じてなお見よ」)。  

黒田三郎さんは、いまも風に真向かって歩きつづけている。

今岡貴江

  • 「平凡な風景」(詩集『もっと高く』現代日本詩集21巻・思潮社)

テレビで見慣れたタレントと

偶然町ですれ違ってうっかりあいさつしたあとのように

ちょっぴりにがい思いが

胸をよこぎる

見慣れたひとや見慣れた風景

よみ慣れたことば

そういうものの間を素通りして

一日はせわしなく過ぎてゆく 過ぎつつある

顔を知ってはいるが ことばを交わしたこともない人間

風景としては知っているが 行ったこともない場所

ことばとしては知っているが

実はただことばを知っているだけの この世の多くのこと

慣れっこになった目で

センセーショナルな社内広告から幾つかのことばを僕は拾う

「人間の尊厳」

「敬虔さ」「愛」

「アイ アイ アイ か」とつぶやいて

いつものようにまた見慣れた風景へ僕は目をかえす

(作品 四、五、六連全行) 

 日常に無関心を装い、関わらないことの必死の生き方に、大人という働く生き物と、その暮らしの真相が窺われる、インパクトの強い作品。

  • 重要な論評・・・(未読)

B 大上段に振りかぶらず、一般人たるひとりの男性としての自分を、素直に綴る静けさは、挑戦にも似ているといつも新鮮に思う。 

土井敦夫

  • 「秋の日の午後三時」(詩集『小さなユリと』昭森社)

不忍池のほとりのベンチに坐って

僕はこっそりポケットウィスキーの蓋をあけ        る

晴着を着た小さなユリは

白い砂の上を真直ぐに駈け出してゆき

円を描いて帰ってくる

遠くであしかが頓狂な声で鳴く

「クワックワックワッ」

小さなユリが真似ながら帰ってくる

秋の日の午後三時

向岸のアヒルの群れた辺りにまばらな人影

遠くの方で微かに自動車の警笛の音

すべては遠い

遠い遠い世界のように

白い砂の上に並んだふたつの影を僕は見る

勤めを怠けた父親とその小さな娘の影を

 

 詩人黒田三郎の人間性が如実に表現されていて好きな詩です。

黒田三郎の詩作品の背景には、荒地グループの一人として荒廃した国土の中で、あるいは屈折した虚脱的状態の中で運命をみつめているような作品が多いのですが、その中で傾きながらも人生(人間)の未来を志向しているところが黒田三郎の素晴らしいところと思います。

上手 宰

  • 「賭け」(詩集『ひとりの女に』昭森社)

一世一代の勝負をするために

僕はそこで何を賭ければよかったのか

ポケットをひっくりかえし

持参金付の縁談や

詩人の月桂冠や未払いの勘定書

ちぎれたボタン

ありとあらゆるものを

つまみ出して

さて

財布をさかさにふったって

賭けるものが何もないのである

僕は

僕の破滅を賭けた

僕の破滅を

この世がしんとしずまりかえっているなかで

僕は初心な賭博者のように

閉じていた眼をひらいたのである

(作品 三連全行)

 上品で表面的な言葉を使わずに愛を語り、それが究極の純粋な到達点を得た詩として感銘を受けた。あまりに好きな作品だったので、私の結婚式の時、黒田さんご本人に朗読していただいたことは生涯にわたる思い出である。

  • 「民衆と詩人」(評論集『内部と外部の世界』昭森社)

その中に書かれた「群衆のなかでは決して開かれることのない各々の心の窓が、誰もいないところでひそかに開かれるとき、そこに忍び込む言葉があるとすれば、それが詩であろう。それは私的なもののなかでも最も私的なものを手がかりとして、心から心へと伝わるものである。」という一節が私の信じる詩論となっているので。

亡くなった時、私はまだ若かかったので、深く考えなかったが、現在六十一歳になった私は折にふれ、黒田さんは六十歳で没したのだと思い起こす。時間が流れるということは不思議なことだ、と詩でも実人生でも教えてくれたのが黒田三郎という詩人だ。「時は流れて 過ぎた」(「時は流れて」終行)。

青島洋子

若かった日傷ついては、この詩の手の平から幾度も飛び立つことができました。自分の行き着く高みが、おおよそ見当のついた今も、精神の高みに向かい続けることが生きることだと、この詩は教えてくれます。落ちていく体験に裏付けられて、希望は少しづつ明確になっていくということも。

精読しておりませんので、答える資格はありません。しかし一九八九年の詩人会議増刊号「黒田三郎」の中の「若い世代の夢」の「詩人という名によって避けられる社会現象は何ひとつありません」に始まる一文は今も私の、貧しい詩作の土台となっています。「ひとりの人間として生きかつ死ぬために、僕等が詩人と呼ばれるひとびとを眺める時、その人間としての卑小さに胸の潰れる思いをせざるを得ません」問われ続けています。ロマンチストと括ってしまいがちですが、その感傷が、戦争をくぐりぬけて戦後詩を書き始めた人々に共通する社会への一つの負い目だと、これは静岡の同時代の幾人かの詩人を見ても感じます。それを背負い、いつも詩作を恥じていたということは人間性を良く表していると思います。詩人会議運営委員長としてのあいさつも記念碑です。「左翼でない筈の私が、戦後三十二年たった現在見渡すと、何か一番左の方に孤立している。私は生来不器用で、素早い身変わりのできる人間ではありません。これは時代社会が、いつのまにか非常に右に偏向している一つの証拠ではないか。詩の社会でも同じことがいえるんじゃないか」この言葉がいわゆる詩壇というところに、大きな影響を及ぼしたのではないかと思います。お会いしておきたかったと悔やまれます。

葵生川玲

  • 「妻の歌える」(詩集『乾いた心』昭森社)
「民衆と詩人」(評論集『内部と外部の世界』昭森社)

「詩と思想」2009年11月号特集「現代の名詩―戦後篇」の依頼に応えて、好きな詩を超えて、あえて取り上げた作品である。『荒地詩集―一九五二年版』に初出の八章二二〇行にわたる長詩なのだが、私には長い間気にかかっていた作品である。長詩故にか、黒田の生前に出版された思潮社版現代詩文庫『黒田三郎詩集』、角川書店版『黒田三郎詩集』、死後に編まれた中央公論社版『黒田三郎』、芸林書房版『黒田三郎詩集』にも収録されていないのだが、黒田が生前に自身で編まれた昭森社版『定本黒田三郎詩集』に唯一収録されているものだ。死後に編まれた思潮社版『黒田三郎著作集』第T巻「全詩集」には当然のこと収録されている。現在読もうとするとこの二つしかないことになる。その最終章を引く。

   8

あなた方は

  正義のために

    と仰言います

あなた方は

  祖国のために

    と仰言います

あなた方は

  平和のために

    と仰言います

だが

あなた方は

今迄何をなさったのですか

夕暮れの町をゆき交う無数のひとびとのなかで

私は考えます

  雨のふる日も風の吹く日も

  つくろい物の洗濯 食事の用意

 編物の内職に追われとおしの私のために      

いや私だけではありません

その日暮らしのすべての妻や子のために

  私達の小さな幸福と

  私達の小さな平和と

  私達の小さな希望のために

あなた方は今まで何をなさったのですか

今こそ私は申します

  貧しく

  無力な

  妻や母や子や妹のために

すべての貧しく無力なものから

  小さな幸福と

  小さな平和と

  小さな希望を

取り上げて

それで

あなた方は

いったい何を守るというのですか

  夫や子や父や兄を

    駆りあつめて

それで

いったい何を守るというのですか

当時、発表後に鮎川信夫が作品批判をし、黒田との間にやり取りがあったのだが、その応酬の詳細は二人のその後の生き方を示唆する内容を含んでいて興味深い。戦前・戦中を通した時代の生き方、そして戦後の過ごし方の違いとしてみても面白いのではないかと考える。

作品の書かれた時代は、敗戦後五年、黒田がジャワから鹿児島に戻り、その後上京して、廃墟と混乱そして結核の闘病のなかで、戦前から戦中の中で得たことをどう受け止めたのか、戦後の基本的な生き方を詩論としてすでに発表していた黒田の現実の社会に対する能動的な戦い方であったのだと思われる。すでに戦中から構想し、戦後すぐに発表して出発した黒田の詩論「民衆と詩人」や「権力と詩人」「詩人と言葉」などは、優れた卓見に満ちている。「民衆と詩人」に対抗したように、鮎川の、批判の基とした評論の題名が「詩人と民衆」であったのは、皮肉というよりも、その後、次第に右翼的言説に囚われる態度を生きた鮎川の姿を見るとき、いかにも皮相な批判に見えてくるのは致し方のないことかもしれない。。

黒田の再軍備に抗議した作品の世界から現実の世界は何処まできてしまったのか、戦後の時代が、政治がはっきりと黒田三郎を通過しているのが読み取れるのである。

黒田の死から三〇年を迎えようとする今日、北村太郎が『黒田三郎著作集』(思潮社)の解説の中で触れている、「「妻のうたえる」などは、あの複雑な心性の人にしては、とふしぎに思えるほど単純で、おもしろくない長詩だが、この詩で黒田の対世界、社会の態度は決まったのではないだろうか。」と言っているのは、詩人の生というものに対して、極めて重要な指摘であろう。一篇の詩を巡って、というよりも詩と詩論の両方で、時代と生を賭けた凄絶に交差する詩人の闘いもあるのである。今となっては、どう受け止めるかは読者の自由であるが。

晩年の三年間、身近にいて、受贈詩集、詩誌の整理をさせていただくことと同時に、執筆の際の示唆を受けるなど、随分と目に懸けていただいたが、黒田さんの死の歳を遥かに超えて、私は未だに何ものをも成し得ないという歯がゆさが続いているのである。

北村 真

  • 「時代の囚人」(詩集『時代の囚人』昭森社)

黒田さんの詩作品で好きな詩はたくさんあります。「道」「蝙蝠傘の詩」「「時代の囚人」「一人の女に」「僕はまるでちがって」「賭け」「紙風船」「不思議に鮮かな」「他人のなかの死」「ある日ある時」などなど。

今回のアンケートを考える上で、黒田さんの詩を改めて読み返しました。何回よんでも、新しく感じるものがいくつもあります。

その中から、今回は、「時代の囚人」を選びました。この詩は、戦後の「与えられた自由」に対する「喜び」と「とまどい」。戦争と戦後への深い洞察でもあります。その詩作の姿勢こそが詩集『ひとりの女に』『もっと高く』はじめ、おおくのすばらしい詩集や詩作品の底流を流れているもののように思い、それを選びました。  

  時代の囚人

 「ああ 失われた日に、鉄格子のなかで、あなたはあなたに何を語ったのか

 停留所の群衆のなかで、あなたはあなたに何を語ったのか

そしていま、与えられた喜びと、自由のなかで、

あなたはあなたに何を語るのか」

                   (作品部分)

黒田三郎の評論について、不勉強にしてその多くを読んでいません。したがって「最も重要とおもわれる評論」は答えることができません。しかし、他者が引用した、黒田三郎の評論の一部からでさえ、私はおおきな示唆を得てきました。次の文章もその一つです。『内部と外部の世界』(個人の経験とは何か)より。なぜ、詩を書くのか(詩を書く内的動機は、なにか)、どのように書くのか(詩を書く困難性は何処にあるのか)、黒田さんの思いが伝わってきます。黒田さんの二つの問いかけは、分かちがたく、私たちへの詩作への問いかけでもあるようにおもいます。

*自分の眼でみ、自分の耳で聞き、自分で感じ、自分で考えることばは、いいかえれば、未知の世界に自ら直面することではないか。それは、自体の意味を新たに自ら問うことである。分かり切ったこととして経験を細切れにしてすましてしまわないことである。

*われわれの生活は、狭い意味における経験のあまりの狭さと、広い意味における経験のあまりの広さ、というあまりにも極端な対照のなかに、毎日繰り返されている。自分の目で実、自分の耳で聞き、自分自身で考えることは、そこに二重の障害を持っている。

僕は病気が心身への注意を喚起するように、むしろ苦痛が生活に対する唯一の関心の足場だと書いたが、もう一度ここで同じことばを繰り返さざるを得ない。

自由な心情とは、失われたものに対する激しい渇き、それを取り返そうとする回復の過程の上にしかないのである。

(「個人の経験とは何か」より)

  • 作品黒田三郎に関わるもの

 黒田三郎さんが、彼の時代を見つめ生きて、詩を書いたように、今、詩を書く行為もまた、この時代の混迷から目をそむけずに生きることなのかもしれない。改めて、黒田さんの詩を読み返して感じたことのひとつは、そのことでした。

みもとけいこ

  • 「時は流れて」(詩集『悲歌』昭森社)

 人間の感情の不条理さ、それを豊さと言い換えてもよいと思う。人生はとても一筋縄ではいかないことを、静かに納得させてくれる。

  • ひとつ選ぶことはとてもできません。

私が詩人会議に投稿を始めたのは、一九八一年二月号からだったが、当時黒田三郎を追悼する特集がたびたび組まれていたのを思い出す。私は、黒田三郎が亡くなるのとほぼすれ違うようにして入会したのだった。

「リアリズムは詩の本道である」と言い、また「シュールレアリズムみたいなものも、なかばリアリズムであるという考えを持っております」と言っておられるが、私はその考えに全く賛成である。黒田三郎の詩はすべてリアリズムから出発し、完全に「作品化」されている。ということは、普遍化されていると言い換えることも出来る。リアリズムを普遍化するためには、どのようなことが必要なのか、示してもらいたかった。

橘田活子

  • 「引き裂かれたもの」(詩集『乾いた心』(昭森社)

「二千の結核患者、炎熱の都議会に坐り込み

一人死亡」と

新聞は告げる

一人死亡!

一人死亡とは

それは

どういうことだったのか

識者は言う「療養中の体で闘争は疑問」と

識者は言う「政治患者をつくる政治」と

識者は言う「やはり政治の貧困から」と

そのひとつの言葉に

僕のなかの識者がうなずく

うなずきながら

ただうなずく自分に激しい屈辱を

僕は感じる

一人死亡とは

それは

一人という

数のことなのかと

一人死亡とは

決して失われてはならないものが

そこでみすみす失われてしまったことを

僕は決して許すことができない

死んだひとの永遠に届かない声

永遠に引き裂かれたもの!

(作品 三、四、五、六連)

ごくありふれた一個の人間として、庶民生活を送っているわたくしたちにしてみれば、力を持つ人も持たない人も命の尊さに変わりないことを、当然の認識として受け入れていると思います。でも、現実は…??

黒田三郎の詩の世界では、切ないほどこうした人間の心の在り処を感じさせてくれます。

  • 「日本の詩に対するひとつの疑問」・「詩の難解さについて」(評論集『内部と外部の世界』昭森社)

わたくしの場合、特にこの二テーマに関心を持ちました。

黒田三郎は、「現代詩にはにせの難解な作品が多い、そしてそれらはすべて、表現の未熟がもたらした幻影にすぎないのだ。つまり、現代詩には、難解だとか。貧困だとかいったあんまりかんばしくない通念があって、そのため、現代詩が正当に扱われない恐れのあることを危惧している」との、大岡信氏の言葉を引き、そしてそれに合わせ、現代の詩のすぐれたものは決して難解ではないことを(高村光太郎・萩原朔太郎・金子光晴・西脇順三郎を挙げて)説いている。

また、この百年。西欧文化を移植するために、日本語そのものが大ゆれにゆれてきた。外国の文化を受け入れるに当っても学問や技術のことばと違って、詩のことばは直接に読者の情緒を喚起する作用を中心とするから、伝来の詩語や日常語との密接な関連なしにはありえない。日本語の背景には、われわれの遠い先祖から伝わってきた生活や説話の積み重ねがある。とも説く。

黒田三郎の作品は、わかりやすく共感できる。そしてわたくしはキャパシテイの狭さから(不勉強)、独り善がりの詩を書いている者の一人として大変参考になりました。

「自分のことばを持ちたいという素朴な願い、それはやはり詩のそだつ土壌であると僕は考える」「いつまでもこころに残る数語・数十字があるかないかは、決して小さな問題ではない」(「詩人とことば」所収)

わたしはくだらん奴ですと

おろおろと

むきになって

いまさら誰に訴えよう

(作品「洗濯」(『小さなユリと』から)

黒田三郎の作品に触れ自分らしく生きるということに、そうだ、そうだ。と、自分を納得させようと今さらながら、考えさせられております。

朝倉 勇

  • 詩集『小さなユリと』(昭森社)

全篇と答えたいのが本心です。全十一篇がひとつの詩作品のように思えるからです。「美しい日没」で始まり、「月給取り奴」「しずかな朝」があり、そしてあの「夕方の三十分」や「洗濯」があるのです。

妻は入院。父と幼い娘二人が格闘する現実生活(人生)を書くこれらは、日常語ゆえに強く心に沁みます。正直ゆえに傷ついた詩人、存在の深い悲しみ。「父は永遠に悲愴である」という、だれか(萩原朔太郎?)の言葉が連想されます。

  • 「詩人と言葉」(評論集『内部と外部の世界』昭森社)

この詩論で黒田三郎さんは、「詩人は国語を醇化するものと一般に言われている」と書き出しています。ハッとします。そうでしょうか。醇化は広辞苑では、「@教えさとして感化すること。Aまじりものを除いて純粋にすること。純化。」とあります。

一九六〇年代に日本語の乱れに心を痛めていた黒田氏が、二〇〇九年の日本語の変容を知ったらどう書くでしょう。日常のコミュニケーション言葉での届く詩作を語っていた氏の嘆きが見えるようです。今日の詩を書く僕たちが読み返すべき詩論に思えます。

  • 思い出すこと。

黒田さんは『歴程』同人でしたが、同人会で見かけたことは一度もありません。しかし、その酒好きと武勇伝は耳にしており、秘かに恐れさえ覚えていました。そんな黒田さんと、なんと「紅茶」!を一緒に啜ったことがありました。

月刊「歴程」で黒田三郎追悼号(一九八〇年四月号)を組んだ時、僕は山田今次さんと月刊編集担当でした。追悼号の通例で特別編集委員が参加。草野心平、粟津則雄、中桐雅夫、三好豊一郎の四氏でした。編集後記で僕は次のような報告をしました。後半を転載します。

「黒田さんと「歴程・詩のセミナー」でご一緒したのは数年前のことで、偶然、二人は失業中だった。黒田さんはNHKを辞められて間もなくのことだったと思う。大学講師の報酬があまりにも少ないことを、するどい口調で指摘されていたことが強く記憶に残っている。セミナーの世話役は黒岩隆君だったと思う。会が終わって、受講のみなさんと喫茶店に入った。受講者に女性が多かったためだけではなかったろう、黒田さんは、レモン・ティを注文された。そして女性たちに囲まれて軽い話題をしばらくしていらしたが、まじまじと僕の顔、いや半白の髪を見て「あ
の、少年だった君がねぇ」といわれた。僕は、よほど幼く思われていたのだ。それが僕の詩の印象だったと判った。セミナーでは「詩は精神の力です」と僕は話した。喫茶店を出て、一本の細長い精神の力が僕の前を歩いていった。」

伏木田土美

  • 「夕方の三十分」(詩集『小さなユリと』昭森社)
まだ 読んでおりません。

北海道の黒田さん

 北海道の詩人会議が、黒田三郎さんを「民主文学」の人たちの協力を得てお招きしたのは、昭和五二年の一〇月頃であったと思う。田畑悦子さんの強い願望と行動はたまげるものがあった。気の弱い私は敬愛する詩人だったのでお会いできたら、と思うものの、有名な方だったのでへっぴり腰であった。当時北海道大学の学生さんであった「九条の会」事務局長の小森陽一さんも参加されていた。黒田は左翼になったというけれど、そうではないのだ、世の中が右寄りになったのだ。ということなど話された。自作詩の朗読に、ゆるぎない人間的深さがあって、ああっと思った。夜、宿舎で膝をまじえての飲み会らなったのだが、ガンなぞなんだというような飲みっぷりであった。「伏木田さんのスカートの膝のあたりが色っぽい」と言われ、仰天し、私のようなイモ女に、何を言われるか、酔われたなと思った。朝、用件があり、男の方たちの部屋をノックした。開けられた戸のすぐ前に黒田さんが寝ておられた。銀色の髪が枕から流れ、横顔がイエス様のようであった。あの美しさは詩の中のもの。

米川 征

@ 「秋の日の午後三時」(詩集『小さなユリと』昭森社) 

詩集に収録の作品は現代の人間がどのようにして人間らしさを取り戻すかを分かりやすく、しかも感動的に描いている作品ばかりのように思います。「秋の日の午後三時」はそのことを殊に心に銘記させられた作品だからです。

メタファやイメージについての評論にも重要なものがあるように思いますが、〈ことばとそれがあらわす事実や経験との間に、激しい緊張があってはじめて、ことばは生きる。日常生活において、われわれのことばを支配している法則は、詩においても決して死にはしない〉と結ばれている言葉についての評論「詩人とことば」は、詩作だけでなく、生きていくためにも、特に重要であるように思うからです。

「荒地」グループの詩人の一人として見てきましたが、グループ化して括ってしまうことのできない詩人のように今は感じています。現代詩の今後を展望するときに拠りどころになり続ける重要な詩人の一人であると思っています。 

南浜伊作

 巻頭の「ふるさと」、南日本新聞社刊『鹿児島百年』(全三巻)を読んで、あの詩を書いたと黒田さんが語られたことで、共感を強くしました。もう一篇「河童の渡り」も共通の体験で、くりかえし読みました。

 この二篇はよく読んだのを思い出します。寺田透氏の本への手引きをしてもらったのと、戦後の詩の歩みをわかりやすく教えられた記憶があります。あまり熱心な読者ではないのを恥じています。

同郷の先輩詩人として、ずっと身近に感じてきました。それにしては、アンケートに答える段になるとさっぱりで、困惑しています。鹿児島市に黒田さんの詩碑がないのが残念です。「南日詩壇むの選者として、黒田さんに育てられた詩人がたくさんいたのですから。

沖長ルミ子

 好きというのとはすこし違いますが、一番印象に残っている作品です。黒い蝙蝠傘をさして出ていく人々に、少年の深い孤独と疎外感に胸を打たれました。今読み返してみてもその思いは変わりませんでした。またあしたという言葉を発するのは少年でもあり作者でもあると思えるのが救いでした。

 不勉強のため最も重要と思われるものが書けません。「生活の意味・詩の意味」の中で、「どの詩もモチーフはすべて僕の日常生活のなかにある。」日常生活とあえて書かれていることに驚きました。若い私には意外だったのです、言葉もまた日常の中で鍛えられるのかと思ったものです。

小森陽一

日常を生きる「俗な市民」の主権者性

  • 「僕はまるでちがって」(詩集『ひとりの女に』一九五四年(昭森社)

「昨日と同じように貧乏で

昨日と同じように何も取柄がない」

そんな人間にも、生きて他者を愛する権利があることを、静かに主張しているところが好きです。

  • 「詩人と権力」(一九五一年)

「これまで詩人は自己を俗な市民から分かつところに誇りを持ってきたが、天上の星を仰ぎ見ることに依って、星が大地を離れてしまってはならないのである。ひとりの俗な市民として、僕が考察をはじめた所以である」という一節には、いつもはげまされています。B 人間は、弱くてもいいし、いつもどぎまぎしたりしながら、生きることに必死であり、小さな喜びや、悲しみに一喜一憂しながらも、人としての尊厳を認めあいながら、支え合っていく、そんな生きものであることを、しっかり伝えてくれる詩人が黒田三郎です。

【写真説明】

目次=「詩人会議」一九七七年十一月号十五周年記念・対談「草鹿外吉×黒田三郎」撮影・近野十志夫

36頁=「詩人会議研究会」一九七七年八月撮影・近野十志夫

37頁=「詩人会議」対談一九七七年撮影・近野十志夫

38頁=詩人会議第十二回総会一九七九年五月十日東京・労音会館、後方に城侑、宮崎清、三田洋氏の姿が見える。

40頁=「黒田三郎を語る会」一九八〇年七月九日(東京・青山荘)の出席者、嵯峨信之、武田隆子、浅尾忠男、滝いく子、笠原三津子、三宅武信、那珂太郎、鳴海英吉、上手宰氏の顔が見える。撮影・葵生川玲

41頁=「黒田三郎を語る会」で挨拶をされる黒田光子夫人。一九八〇年七月九日(東京・青山荘)その後の「三郎忌」にも、チョコレートとお酒が差し入れられた。撮影・葵生川玲

42頁=「黒田三郎十三回忌墓前祭」日本文藝家協会『文学者之墓』にて、清水マサ、金井廣、山本隆子、長澤正敏、浅尾忠男、近野十志夫、宮本勝夫氏の顔が見える。一九九二年四月十二日(静岡県・富士霊園)撮影・葵生川玲

43頁=同「黒田三郎十三回忌墓前祭」で、黒田三郎の墓前にて光子夫人。一九九二年四月十二日(静岡県・富士霊園)撮影・葵生川玲

45頁=「黒田三郎十三回忌墓前祭」で、日本文藝家協会『文学者之墓』の黒田三郎の墓前にて、光子夫人と長男正巳氏、後方は片羽登呂平氏。一九九二年四月十二日(静岡県・富士霊園)撮影・葵生川玲

47頁=桜島を見渡せる位置にある黒田家の墓・黒田三郎さんの妹、吉原安乃さんに案内していただき、茂山忠茂さんら鹿児島詩人会議の方々と訪れた。二〇〇五年五月十四日(鹿児島県・唐湊墓地)撮影・葵生川玲




黒田三郎未収録作品作品「山鴫」発表

(「詩人会議」2008年1月号)


山鴫



「開かれた頁」は、アメリカのベトナム侵略戦争

時の作品であり、「紙風船」60年に刊行された詩

集『小さなユリと』(昭森社)に収載されたもの

である。一見社会性とはまったくかかわりのない

かに見える、小さな杼情詩「紙風船」は、「開か

れた頁」と並べてみるとき、この詩の美しさは強

靭な意志と思想性に裏打ちされていることがわか

る。黒田三郎の詩の特徴は、日常の市民生活に多

く取材し、ヒューマステイックな抒情性に富んで

いる。黒田三郎は、詩人たちの多くが政治や社会

とのかかわりが希薄であることに触れ「詩人とい

う名で避けられることは、この世にはなに一つな

い」として、「詩は美辞麗句ではない。表現の巧

拙などでは無論ない。腐敗したことばのベールを

引っ張がして、事実そのものを直視することであ

る」と言った。

● 黒田三郎は、大正8(19)年 広島県呉市生ま

れ。東京帝国大学経済学部を戦争のため、半年繰

上げで卒業。敗戦直前にインドネシアで現地召集

され入隊(45年)。詩誌『列島』と共に戦後詩の

スタートに大きな役割を果たした詩誌『荒地』を

田村隆一などと結成(47年)。詩集『ひとりの女

に』でH氏賞を受賞55年)、日本現代詩人会理事

長に就任60年)詩誌『詩と批評』創刊に当たり清

岡卓行、長田弘と編集に当たる66年)。「小選挙

区制に反対する詩人の会」結成の発起人(73年)。

詩人会議運営委員長に就任(77年)、昭和55年

(80)年に61歳で死去。

● 詩集は『ひとりの女に』(54年)、『失われた

墓碑銘』(55年)、『渇いた心』57年)、『もっ

と高く』(64年)、『ある日ある時』(68年)

『ふるさと』(73年)、『悲歌』(76年)、『死

後の世界』(79年)、『流血』(80年)がある。

 評論エッセイも多数・手ごろな詩集としては、

『黒田三郎詩集』『新選・黒田三郎詩集』(いず

れも思潮社・現代詩文庫』がある




ミニ講演『黒田三郎について』葵生川玲


2007年5月26日〜27日

東京・日本青年館で詩人会議の第26回総会が開催され

たが、二日目の午前、ミニ講演 壺井繁治=土井大助、大島博光=秋村宏、

黒田三郎=葵生川玲があり、夫々30分ほどのお話を行い、その後質疑の時間

を持った。

葵生川は、おおよそ次のような内容で話をしたが、時間不足でかなり省略

することとなった。


黒田三郎論メモ


葵生川 玲


T はじめに

 黒田三郎氏が亡くなられて、今年の一月で満二十七年

になります。

・「書誌」とホームページ『黒田三郎研究』

U 黒田三郎という詩人の現在 

・芸林書房の文庫形式の『黒田三郎詩集』朝倉勇編・

解説(2002.4.1)選詩集の出版

・中央公論社からのシリーズ・現代の詩人4(1983年)

・大阪の「PO」119号(2005.11.20)の特集

・鹿児島の民主文学会「火山脈」の特集

 ・坪内祐三氏『雑読系』(晶文社03.2.10)

・鶴見俊輔・月刊誌「潮」2001.5月号「回想の人びと」

V 詩人会議と黒田三郎

黒田三郎は、一九七七年四月に「詩人会議」に入会し、

五月に開催された第一一回総会で、運営委員長に就任す

る。

 ・詩人会議・運営委員長に就任する背景

・黒田三郎の「詩人会議」への登場

「左翼でない筈の私が、戦後三十二年たった現在見渡す

と一番左の方に孤立している。私は生来不器用で、素早

い身変りのできる人間ではありません。これは時代社会

が、いつのまにか非常に右に偏向しているひとつの証拠

ではないか」

 ・七九年五月の第一二回総会発言

「リアリズムは詩の本道である」

] まとめに

 詩人の態度と姿勢について端的に書かれているものが

あるので紹介します。 

 「職場の詩人に対比して専門詩人という呼称が使われ

ていたことがある。サークル運動の盛んだったころであ

る。日本の場合は、ヨーロッパやアメリカの詩の影響を

つよく受けているため、これまで詩人として評価されて

来たひとびとの多くがヨーロッパやアメリカの詩に対す

る専門的な知識や教養の所有者であったことは事実であ

る。現在でもその傾向はなお顕著である。詩を書くため

に、特別な知識や教養が必要であることを僕も否定しな

い。だが、詩は知識や教養から生まれるものではない。

それは民衆の生活から生まれる。知識や教養はその助産

婦の役をしたり、生まれるものの栄養剤になるが、いつ

も必ずそうだとは限らない。知識や教養が先走って、本

来詩が詩であるべきものを殺すことだってある。この百

年の日本の詩の歴史を見ても、舶来の知識や教養が、詩

を一種の客間の飾り物のようなものにした事実は否定で

きない。無名の民衆の声とは、まるで違ったところに詩

の世界があるかのように。

 職場の詩人、専門詩人というような安易な対比、糊塗

されてしまい勝な、詩の根本にかかわる問題がここにあ

る。だから、僕はそういう安易な対比を決してとろうと

は思わない。昭和四十七年二月、読売文学賞を受賞した

とき、記者のインタビューを受けた吉野弘氏は、「ぼく

の詩は労働者の詩でね」と物静かに応えている。また、

石垣りん氏は、その随筆集『ユーモアの鎖国』のなかで、

さり気なく何度も「私は銀行員です」と記している。も

し、先刻の対比を使えば、二人とも、専門詩人と今では

言われるであろう。しかし、二人とも全く自然な態度で、

それぞれ自分が働く者であるということを述べている。」

(『現代労働詩集』黒田三郎監修・秋津書店1973.4.25

発行・監修のことば部分) 

・福田定良と戦後の出発

(栗原敦『詩が生まれるところ』から)

「その犠牲の大きさにも拘わらず、僕等は、戦争によっ

て尚何物かを克ち得たやうな気さへするのである。」(サ

ンドル三号1948.6「知性の役割」1948.3.12執筆)

「出征するもものもしないものもひとしく愛国の至情に

逸り立っている光景を至るところに眺めた私は、もし、

この国家の安危を賭けた戦争に感激しないものが自分ひ

とりだとすれば、これこそ、いままで恐れていた安易な

書斎生活がもたらした諦観的態度のためであるのに相違

ない、と真剣に思ひ入ったものであった。その結果、私

は、左翼的な人々からは未来の社会の基礎とされ、国家

主義的な指導者からも忠君愛国の精神に生きるものとし

て示された民衆を知ることがなにより大切だ、といふ断

定を下した。いふまでもなく、民衆を知るといふことは、

彼らとともに生きてみることでなくてはならない。」

「知識人福田定良が、安逸な書斎を捨て「民衆」と「と

もに生きてみる」と決意したのは、決定的な回心の体験

であった。この回心によってこそ、福田の思索は真実の

身体を持つことになったわけだが、恐らく黒田三郎もま

た同様の体験を経たにちがいない。彼にとっては、自己

を〈流刑に処〉し、〈破滅を生きること〉がそれに相応し

たといっていい。」

〈同前〉

「彼はすでにあらゆる意味で敗北していた。第一に、不

正な現実に目ざめた時すでにその現実の中にいる自分を

見出さざるをえなかった。第二に、現実への批判を試み

ようとした時もはや拠点は見出せなかった。第三に、し

かも民衆の動向は不正な現実を正しいものとして肯定し、

指導的な知識人たちがなだれ込むように事態の進行を追

って積極的肯定にまわるようになって行くのを目撃しな

ければならなかった。

〈同前〉

「その時代を空白としてではなく生きた者の体験から、

これまで存在しなかった価値を育もうとする視点、これ

らが黒田三郎の戦後に向かう思想的な決意のあらわれな

のであった。ふたたび言換えれは、戦後の現実の中を、

戦中において全てを否定した根拠、つまり〈破滅〉を抱

え込んで生きる、ということなのであった。」

〈同前〉

・吉本隆明(『都市詩集・東京V』解説(作品社)

「…戦争の後の廃墟感覚、戦乱のあとの廃墟感覚は、鮎

川さんにしろ、田村さんにしろ、北村さんの戦後近いと

きの詩にしろ、とてもよく捉えていたんじゃないでしょ

うか。戦乱で焼けただれた東京とか、その他の都市の廃

墟のありさまはとてもよく捉えていると思います。たぶ

ん、そこにいちばん「荒地」グループの本領があるよう

な気がします。黒田三郎さんは、戦乱の焼け跡を廃墟と

考えないで、解放という面から捉えたから、ちょっと違

う詩の系譜をたてていきましたけどね。」

「黒田三郎が初期戦後詩の時代に独力でなしとげた最も

重要な仕事、それは詩および詩人が、いかなる意味にお

いても特権的な存在ではありえないということを、体験

に根ざした断固たる説得力で示したことにあった。彼は

それを、詩論にってのみならず、詩作品そのものによっ

て明確に語った。彼の詩が戦後詩の枠を越え、詩壇なる

ものの枠を超えて広く読まれるものとなったのもそのた

めである。彼の詩は時流を越え。流派を越えている。そ

れは彼の詩が驚くほど自然に、ナイーブな心情と強靭な

人生批評の論理を結びつけ、しかも裸の状態の心をもっ

て、一刻一刻の自己の現実をうたいえたからである。時

流を越えて生きるものは、ただ一つ、自己の宿命を避け

ることなく生き抜いたものだけだという真実を、彼の詩

と散文はたんたんと力強く語っている。」

(『黒田三郎著作集』第一巻全詩集・月報 大岡信より)



〈戦後詩 この一篇 B〉


「賭け」☆ 黒田三郎


津 坂 治 男


五百万円の持参金附の女一房を貰ったとて

貧乏人の僕がどうなるものか

ピアノを買ってお酒を飲んで

カーテンの蔭で接吻して

それだけのことではないか

美しく聡明で貞淑な奥さんを貰ったとて

飲んだくれの僕がどうなるものか

新しいシルクハットのようにそいつを手に持って

持てあます

それだけのことではないか


で始まる四連の「賭け」、一九五四年H氏賞を受

けた詩集『ひとりの女に』中の一篇。これには、私

だけでなく、日本中のほとんどの詩人が驚いたと思

う。戦後まだ九年だし、作者黒田自身廃墟からの再

出発をめざす鮎川信夫らの「荒地」のメンバーだっ

た。人生とは、世界とは、というどちらかといえば

観念先行の"現代"詩の状況の中、突如生身の〃愛〃

が顔を出したのだ。私より一回り上の羊(未)だか

ら一九一九年生まれ、戦争体験もあり、その前には

「VOU」を通してモダニズムの洗礼も受けている。

直接関係はないが、東大・NHKというエリートコー

スも歩んでいる。その彼が戦後平明に徹したのは、

よほどの覚悟があったようにみえる。いわば、建前

や虚飾を棄てて、一庶民として真率に生き抜こうと

する決意の表れ―。

第二連は、「馬鹿さ加減が、丁度僕と同じ位で/

貧乏でお天気屋で/強情で」といった少女に出くわ

すくだり。そして第三連、ここで「一世一代の勝負」

に出ようとする。賭ける物をもとめて、「ポケット

をひっくりかえし/持参金附の縁談や/詩人の月桂

冠や未払の勘定書/ちぎれたボタン/ありとあらゆ

るものを/つまみ出して/さて/財布をさかさにふっ

たって/賭けるものが何もないのである」と。この

辺り、事実を平凡に並べ立てているようで、一語一

フレーズが、生活と心情を象徴するいわば黒真珠の

ような内からの輝きを秘めていて、単なるリアリズ

ムでは産める代物ではない。モダニズムを含めて鍛

え上げた言語力プラス現実を率直に見る内なる眼力、

両者が融合されてはじめて成し遂げられることだと

思う。

詩に戻って、最終連。


僕は

僕の破滅を賭けた

僕の破滅を

この世がしんとしずまりかえっているなかで

僕は初心な賭博者のように

閉じていた眼をひらいたのである


破滅を賭けるーーとは何か。すべてを自分の身に

負って、今風に言えば自己責任で歩みだすというこ

とである。「破滅」というネガティヴな言葉の裏に、

男らしさが見えてくる。

この詩(詩集)だけでも素晴らしいのに、作者黒

田三郎は、さらに続けて、胸をキュンとさせるよう

好詩集を出した。題して、『小さなユリと』、一九六

〇年.場面設定は、前詩集の数年後。可愛い娘ユリ

と、目下母(妻)が入院の家庭を守るお話。


コンロから御飯をおろす

卵を割ってかきまぜる

合間にウィスキーをひと口飲む

折紙で赤い鶴を折る

ネギを切る

一畳に足りない台所につっ立ったままで

夕方の三十分


で始まる。テーマは別として、この情景、いわゆ

る昭和三十年代の台所(キチンと呼ばれるまでの)

の典型をもあらわしている。

前者(ひとりの女に)が出たころ、私は独身で離

島の教師をしていた。後者(小さなユリと)の時も

まだ一人で悶々としていた(六○年安保の年でもあっ

た)。そして今、いい年になって、小さな孫の世話

に一喜一憂したりしている。黒田三郎がそんな時期

を迎えたらどんな詩を書いただろうと思ったりする。

ただし、詩人は、一九八○年還暦の翌年世を去って

いる。磨き抜かれた平明の良さといったものを私た

ちに遺して……。

いわゆる身辺感懐詩を書く人たち、四十年以上前

のこの遺産をもう一度読み返してほしいと思う。


「みえ現代詩」68号・2006年1月1日発行



●2005年1月で、黒田三郎さんが亡くなってから満25年になる。私にとって長年の懸案で

あった「黒田三郎研究」のための資料を、少しずつぺージアップしていくことにする。デー

タは以前から少しずつ揃えてきたもので、手持ちのものから順次纏めていけたらと考え

ている。

ご協力願えれば幸いです。



黒田三郎詩文学書誌



「単行詩集」



詩集『ひとりの女に』昭森社 1954年6月30日初版・1966.9.20.4版 500円



 

詩集『時代の囚人』昭森社 1965年10月1日初版 500円





詩集『ふるさと』昭森社 1973年11月1日初版 1500円 署名入り







詩集『悲歌』昭森社 1976年8月30日初版 1500円 署名入り





詩集『死後の世界』昭森社 1979年2月4日初版 1500円





詩集『流血』思潮社 1980年5月1日初版 1400円




「選詩集」


『黒田三郎詩集』今日の詩人双書4・ユリイカ 1958年6月1日

「略歴にかえて」黒田三郎 「黒田三郎論」木原孝一





『黒田三郎詩集』現代詩文庫6・思潮社 1968年1月1日


作品論・「黒田三郎論」三木卓、詩人論・「誤説・黒田三郎論」木原孝一





『黒田三郎詩集』日本の詩集16・角川書店 1973年3月10日


年譜、解説・嶋岡晨





『新撰・黒田三郎詩集』新選現代詩文庫114・思潮社 1979年6月1日


詩人論・「黒田三郎氏の詩集『ふるさと』に歴史の実体」鈴木志郎康、解説・「黒田三郎さんへ

の手紙」川崎洋








現代の詩人4『黒田三郎』編・大岡信 谷川俊太郎


発行・中央公論社 1983年8月20日初版発行

4/6判236頁 1500円]


 



『黒田三郎詩集』朝倉勇編・芸林書房 2002年4月1日

解説・「黒田三郎の詩」朝倉勇







「全集」



『黒田三郎著作集』T全詩集・思潮社 1989年2月1日


解説・『失われた墓碑銘』前後を主として・北村太郎

詩集書誌、拾遺・初期詩篇初出一覧





『黒田三郎著作集』U評論・エッセイT思潮社


解説・北川透 





『黒田三郎著作集』V評論・エッセイU思潮社 1989年7月10日


解説・詩集『悲歌』と黒田さんの資質について・吉野弘

黒田三郎年譜、初出一覧・書誌

(付録)月報・安西均、衣更着信、那珂太郎、岩成達也、井坂洋子、瀬尾育生





「日記」


『黒田三郎日記』戦中編T1939〜1940・思潮社1981.10.1初版 2400円

(付録)詩集未収録詩篇(戦中編)、「黒田三郎日記・戦後編T」書評・吉野弘、高井泉

松永伍一、粟津則雄、





『黒田三郎日記』戦中編U1940〜1941・思潮社1981.11.1初版 2400円

(付録)「黒田三郎日記」についてT・三好豊一郎、山本太郎、有馬輝武




『黒田三郎日記』戦中編V1941〜1942・思潮社1981.11.10初版 2400円


(付録) 「黒田三郎日記」についてU・三好豊一郎、城侑、清水昶、勝田洋




『黒田三郎日記』戦中編W1942〜1942.10・思潮社1981.12.20初版 2400円


(付録) 「黒田三郎日記」についてV・三好豊一郎、長谷川龍生、長安周一、大井康暢




『黒田三郎日記』戦後編T1946〜1947・思潮社1981.4.1初版 2400円


解説・北村太郎 (付録)「戦後篇資料集」T


 


『黒田三郎日記』戦後編U1947〜1948・思潮社1981.6.1初版 2400円


解説・中桐雅夫 (付録)「戦後篇資料集」U




「戦前篇」T〜W1935.10.7〜1939.8.31が編集中との広告がありながら、刊行が止まっている。



「評論・エッセイ集」


『内部と外部の世界』昭森社・1977.7.30





『黒田三郎・飯島耕一』現代詩論3・晶文社 1972.6.30 


年譜、



 


『現代詩入門』黒田三郎・思潮社・1966.9.1初版 780円





『赤裸々に語る』詩人の半生・黒田三郎・新日本出版社 1979.9.15初版 1200円





「作品収録詩書」


『家庭の詩』石垣りん編・筑摩書房 1981.11.10発行

黒田三郎作品「賭け」紹介・石垣りん

装丁・安野光雅 鑑賞・飯島耕一 肖像・吉野弘 写真・富山治夫


『現代詩の展望』現代詩読本特装版・思潮社 1986.11.20

「戦後詩一〇〇選」黒田三郎「死のなかに」「夕方の三十分」


「新潮」1990.11月臨時増刊号「日本の詩一〇一年」1890〜1990

黒田三郎「時代の囚人」


「現代詩手帖」1960.4月号 「特集・戦後詩人の七つの技法」

「現代詩入門」連載・技術論 黒田三郎




「編集詩誌・詩と批評」昭森社発行



「詩と批評」1966.7月号 連載・同時代の詩3「夜の噴水」黒田三郎


「詩と批評」1966.9月号 連載・同時代の詩5「たのしい一隅」黒田三郎

「後記」黒田三郎


「詩と批評」1966.10月号 「後記」黒田三郎


「詩と批評」1966.11月号 「後記」黒田三郎


「詩と批評」1966.12月号 エッセイ「同時代の詩」最後に・黒田三郎

「後記」黒田三郎


「詩と批評」1967.1月号 作品「開かれた頁」


「詩と批評」1967.6月号「後記」黒田三郎


「詩と批評」1967.11月号「後記」黒田三郎


「詩と批評」1967.12月号「後記」黒田三郎


「詩と批評」1968.3月号 随筆「最近の詩集から」黒田三郎


「詩と批評」1968.6月号

「詩と批評」1968.7月号 書評「西脇順三郎『詩学』」黒田三郎



「編集詩集・アンソロジー」


『愛の詩集』黒田三郎編・雪華社 1967年10月25日初版 300円






『労働詩集』黒田三郎監修・秋津書店






「詩誌特集」



「詩と批評」1968.6月号 「詩人と民衆の間」黒田三郎ノート・郷原宏


「詩人会議」1982.2月号・特集「黒田三郎を読む」

「紋白蝶の死」黒田三郎論へのメモ・上手宰

「恥じらいの花」黒田三郎の詩を読む会講演(詩集『羊の歩み』より)宗左近

「血と生き方」黒田三郎の詩を読む会講演(詩集『流血』より)川崎洋

「人間の土台」黒田三郎日記(戦中編T〜V)を読む 土井大助

座談会「初めて出会った巨きな詩人」金指栄一・若林圭子・池田純子・館林明子(司会・山形衛)


「詩誌・文芸誌収録」


「国文学」1979.9月号 「現代詩をどう読むか」


「現代詩を読む」黒田三郎作品「海」乙骨明夫


「詩の発見」NHK市民大学・大岡信 1984.4.1


第四回「恋愛詩」作品「賭け」 


「論集・現代詩の世界」3・現代詩研究グループ・1974.10.20初版

「黒田三郎論」津坂治男


「詩人会議」1983.2月号・特集「壺井繁治と黒田三郎の位置」

黒田三郎の人間像「知性の約束」土井大助

架空対談・壺井繁治×黒田三郎「詩・人間・リアリズム」浅尾忠男


「歴程」1980.4月号・特集「黒田三郎追悼」





「詩人会議」1980.3月号 特集「黒田三郎追悼」

未発表作品「紅葉」、アルバム、

座談会「黒田三郎を語る」中桐雅夫・大岡信・城侑・浅尾忠男 


「詩人会議」1989.2月臨時増刊号「黒田三郎」全冊特集





「関西文学」1980.4月号 「追悼 黒田三郎小特集」

作品「待つ」(昭和48年10月号より再録)「喪失」(昭和47年5月号より再録)

エッセイ「開かれた精神」(昭和51年6月号より再録)、「失われた可能性」(昭和45年6月号より

再録)、略歴紹介、書評『定本 黒田三郎詩集』横井晃


「現代詩手帖」1960.4月号 「特集・戦後詩人の七つの技法」

「現代詩入門」連載・技術論 黒田三郎

鑑賞ノート「黒田三郎と北村太郎」吉野弘


「現代詩手帖」1964.12月号「現代詩年鑑」

黒田三郎作品「平凡な風景」(悲劇喜劇9月号)


「詩人会議」1981.3月号 特集「詩人の告発」

「詩人の自由とは何か」黒田三郎の晩年について・三浦健治


「詩人会議」1980.3月号 時評「近刊の中の「黒田三郎の世界」」奥田史郎

「現代詩手帖」1980.4月号 特集「黒田三郎と『荒地』の現在」

「黒田三郎論」芹沢俊介、




「全集未収録エッセイ」


「ユリイカ」1961.2月号 「批評と団体の在り方」黒田三郎


「現代詩手帖」1963.5月号 「特集 ことばの問題」詩のなかの〈私〉黒田三郎


「詩人会議」1977.7月号 第十一回詩人会議総会特集

「新運営委員長のあいさつ」黒田三郎


「詩人会議」1977.11月号 「詩人会議十五周年記念特集号」

「目を開いて見よ 目を閉じてなお見よ」黒田三郎


「ポエム」1977.6月号 「特集 現代詩読本」

詩の生誕 作品「あなたは行くがいいのだ」エッセイ「戦後三年目の秋と冬」

黒田三郎


「伝統と現代」1978.5月号 総特集「現代大衆論」

「寂寥と孤独」黒田三郎


「詩人会議」1978.6月号 特集「時代と表現」

対談「生き方で響きあう」荒川洋治×黒田三郎


「詩人会議」1978.3月号 「黒田三郎 談話室」ナンセンスのすすめ


「詩人会議」1978.7月号 「黒田三郎 談話室」現代詩講座の思い出


「詩人会議」1978.9月号 「黒田三郎 談話室」 人生五十


「詩人会議」1978.10月号 「黒田三郎 談話室」一般市民の詩


「詩人会議」1979.7月号 「第十二回詩人会議総会特集」

「リアリズムは詩の本道である」黒田三郎



「全集未収録・対談・座談会など」


「詩人会議」1976.4月号 特集「現代詩の未来」アンケート「現代詩をどうみるか」黒田三郎


「詩人会議」1977.8月号 特集「詩人の戦中・戦後」

鼎談「詩人・戦争・歴史」黒田三郎・浅尾忠男・上手宰


「詩人会議」1978.1月号 新春対談「詩をめぐる現代」黒田三郎×草鹿外吉


「詩人会議」1979.1月号 新春インタビュー「正月雑感」黒田三郎に聞く(インタビュー・館林明

子)


「詩人会議」1979.8月号 「創刊二〇〇号記念特集」

対談「文化のうちそと」大岡信×黒田三郎



「黒田三郎関連執筆」


『現代詩の昨日と今日』小海永二・花曜社 1975.12.25 「転換期の現代詩」


「詩人会議」詩人会議1975.7月号 特集「戦後詩人論」


黒田三郎論「羽根から鉄へ」上手宰


「国文学」学燈社1977.4月臨時増刊号 「現代詩の一一〇人を読む」

黒田三郎作品「僕はまるでちがって」紹介・小海永二


「大阪」1977.11月号「黒田三郎論 第1回」『失われた墓碑銘』について・犬塚昭夫


「大阪」1978.4月号「黒田三郎論5」『失われた墓碑銘』について・犬塚昭夫


「大阪」1978.5月号「黒田三郎論6」『時代の囚人』について・犬塚昭夫


「大阪」1978.6月号「黒田三郎論7」『時代の囚人』について・犬塚昭夫


「大阪」1978.7月号「黒田三郎論8」『時代の囚人』について・犬塚昭夫


「大阪」1978.8月号「黒田三郎論9」『時代の囚人』について・犬塚昭夫


「大阪」1978.10月号「黒田三郎論10」『ひとりの女』について・犬塚昭夫


「大阪」1978.11月号「黒田三郎論11」『ひとりの女』について・犬塚昭夫


「大阪」1978.12月号「黒田三郎論12」『ひとりの女に』について・犬塚昭夫


「大阪」1979.1月号「黒田三郎論13」『乾いた心』について・犬塚昭夫


「大阪」1979.2.3月号「黒田三郎論14」『乾いた心』について・犬塚昭夫


「大阪」1979.5月号「黒田三郎論15」『小さなユリと』について・犬塚昭夫


「大阪」1979.6月号「黒田三郎論16」『小さなユリと』について・犬塚昭夫


「大阪」1979.7月号「黒田三郎論17」「新人生派ということ」・犬塚昭夫


「大阪」1979.7月号「黒田三郎論 最終回」「新人生派について」・犬塚昭夫


「現実」葵生川玲


『戦後詩人論』吉本隆明・大和書房 1978.9.15 


「新日本文学」1977.11月号 「現代詩特集」

「風景を忘れた詩人たち」岡庭昇


「詩人会議」1979.7月号 書評・「死後の世界」湧口光子


「詩人会議」1981.1月号連載 戦後詩と黒田三郎@「内部の相克とその発展について」宮崎清

第一回黒田三郎の詩を読む会開催


「詩人会議」1981.2月号連載 戦後詩と黒田三郎A「詩人・市民・民衆」宮崎清

「黒田三郎没後一周年記念集会案内」

「第二回黒田三郎の詩を読む会」報告


『笑う詩人』長田弘・人文書院 1989.6.25 「たかが詩人という生きかた」


詩集『黒田三郎』T・三宅武治 思潮社 1981.1.8初版 1800


詩集『黒田三郎』U・三宅武治 思潮社 1982.1.8初版 1800


詩集『黒田三郎』V・三宅武治 思潮社 1983.1.8初版 1800





『人間・黒田三郎』黒田光子 思潮社 1981.12.1初版 1500