受贈詩書2018

「飛揚詩集2008」
 

飛揚のページ2




「飛揚」47号

2008年7月7日発行


特集 数字のある詩


目次

●作品

ひとつ――りょう城 4

ぬけがら、または1/2―北村 真 6

五の月――青島洋子 8

二月の雨の中で――土井敦夫 10

食べたい―伏木田土美 12

眼光――葵生川玲 14 

チチの棺――みもとけいこ 16

アウシュビッツの残された数字――くにさだきみ 19

●エッセイ

日々のこと――りょう城 24

●書評

詩を見つめる眼――土井敦夫詩集『真夜中の自画像』――米川 征 25


●編集後記 28   ●同人刊行詩書 2  ●同人住所録 26

 

ひとつ


りょう城


パッと駆け出したかと思うと

まぁーーーーーー

るく走ってうしろから現われ

ぎゅうと抱きついてくる 数

を ひとつという


あなた脱ぎ散らかした服はあなたか

肺の中の空気は

摘出した石は誰かにもらった肝臓は

愛する人

喋った言葉

古着屋に売った服は

あなたはまあるく広がっている

ほかのひとと重なっている


息をすったり

吐いたりすること

思う存分

しあわせだったり

死にたくなったりする

ふくらんでは

しぼむこと

傷ついたらなおすこと

まあるいひとつを

ひとつひとつ転がすこと


おむすびは齧られ

かじられて御飯粒

そして炭水化物は本日のもと

ぐるぐる前からまわっている

渦を巻いて

くっついたり 離れたり

いつもあたらしい


あなたは起き出して

水道の水をのみ

揺れて揺れて

ぶつかり合い

からみ合う

それで

ひとつだ


 ぬけがら、または1/2


北村 真



名前のない悲しみを

握りしつぶすと


カタチのあった場所に

粉々になった

夕暮れが

のこった


空を

まっぷたつに裂いて

どこへ行ったのだろう




 五の月


 青島洋子


きょう

息子を戦死させた父母の想いに

どれほど届くか

飛んでみた。

私の背骨を

棒高跳びのようにしなわせて


五月の空の下

つきささっているのは

カルシウム不足の骨ばかりと

あなたたちは苦笑する。


便りのない分

蕾をつけるミニばら

便りがない分

気にかけて

皮肉でも何でもないのに

息子の気まぐれが送ったものが

次々咲くのはどうしてと

不審がって。


五月の空の下

戦地から最後の手紙が届いた。

「御蔭様にて軍務に精勤いたして居ますから他

事ながらご放念され」

ビルマ・ミャンマーから

二十歳の若者の文字は

「先づは御知らせまで」と結ばれ


五の月はその先を盗んだままだ。


私のたわみのない背骨は

父母に遠く及ばす

何回もバーを落とし


私は五から

縦棒の骨を盗んで

いわしせんべいみたいに食べてやる。

絶対骨元気にしてみせる。

五月から続かない若者の便りから

ずっと続いている私の時間だから。



二月の雨の中で


土井敦夫


失われた時間と

まだ残されている時間が

微かに光るダークブルーの海に

浮いたり 沈んだりしている


夜空にそびえて立つ東京タワー

中ほどに乾いた射光を放って

今 を告げる2008の数字


ざわめく未来は

爛熟した色とりどりの灯りとなって

街路にこぼれ落ちている


嬉々として通り過ぎる人々

不毛の季節は流れ

犬は独り 傷口を舐めながら

その浮遊する無数の影を見つめていた


すでに喪失した故郷

懐かしい記憶のそこから甦る

蒼ざめた幻影は

そのままの形で

犬の瞳の奥に凍りついたまま


やがて 夜半より降り始めた二月の雨は

犬の背骨を濡らし

街中を濡らしていった


そして深い沈黙の中から

長い間風化された言葉が

花のように開こうとする時

ここ深夜の亡霊の都市に

犬の叫びは谺となって還ってくるか



食べたい


伏木田 土美


枇杷を食べたのは

一度きりだ

憧れて 初めて食べたとき

果肉の少なさにびっくりした

大きく 固い種にゆきあたり

あれっと思った それで

ほのかな甘みと酸味など

味わうより

なさけないことに

もう買わないぞ と 思った


十年もの歳月を経て

千葉県の農林総合研究センターが

種のない枇杷「希房」を

新品種として世に出した

なんと 一個 五千円


今年 夕張メロンは初競りで

二個で二百五十万円の値が

史上最高値

夕張再建への激励というけれど……


私の胃は何故かはげしくゆがむ


日記に

おにぎりが食べたい

と 一行 書き残し

餓死した男の最後の一日は

正視しがたく

私の胃の底に転がっているからか



眼光


葵生川玲


   *

もう随分となる。

ある時わたしの

眼について話すのを聞いたことがある。


詩を書き出し

一心に勉強していた頃のことだが、

その人はわたしが

「眼をぎらぎらさせていた。」

と表現した。

 "

昨日、大學病院の眼科で

「加齢黄斑変性」の精密検査を受けた。

その「蛍光眼底造影」は

静脈から蛍光色素を入れ、

眼底の血管の具合を見るものだが

繰り返し、

医師の指示にただただ従って

眼球を左右上下に動かし、中心を睨みつけるのを

カメラで数十枚も映された。

 "

迂闊なことだが、

定年退職する少し前の内科の精密検診で

それまで、立派な「糖尿病」だ

と言われ治療を続けていたものが

患者全体の数%しかいないという

「T型糖尿病」と診断されて

すぐさま、インシュリン注射の訓練が始まったのだった。

    *

「眼をぎらぎらさせていた」

という、わたしは

いまも

詩なるものを書き続けているが

時折に

「詩に視られている」

と感じることがある。


眼の力は次第に弱くなって

おそらく今は

柔和な眼の色をして加齢臭を漂わせる

ただの人であろう。



チチの棺


みもとけいこ


 オトウサンは

 溺れていらっしゃいます

 もう 一日中

 溺れつづけていらっしゃいます


ドクターの声は

どこか諭すようでもあり

なにをか懇願するようでもあった


 オトウサンのいらっしゃる場所は

 深すぎて

 とうてい私たちの手は届きません


今ここで

酸素マスクをし 荒い呼吸をしているチチは

深い海の底で溺れているのだった

酸素マスクを払いのけようとする手を押さえ

細いパイプで

海底に酸素を送り続ける


    *


葬儀がすんで何日目のことだったろう チチが

人間魚雷回天特別攻撃隊に志願していたことを

知らされたのは


 回天作戦を展開した期間九ヶ月

 出撃搭乗員延べ一四八名

 潜水艦で出撃した回天搭乗員八〇名

 進出基地にて空襲被弾した回天搭乗員二名

 訓練中に殉職した回天搭乗員一五名

 戦後基地にて自殺した回天搭乗員二名


「攻撃精神特ニ旺盛ナルモノタルオ要ス」

という志願者募集の基準なら

十分満たしているチチだ

一九四五年八月十五日

あの言葉で兵士をやめることが出来なかったチチは

夜陰にまぎれ

ひそかに回天に乗り込んだ

そうして始まったチチの戦後


酸欠で溺れつづける死ガ

どれほと苦しいか

酸欠で行きつづける生が

どれほど苦しいか

チチはよく

胸苦しいと訴えた


チチがどこに沈んでいるのか

ドクターにも探り当てることはできなくて

ひび割れた鉄板の継ぎ目から

チチの体に海水が流れ込んだのだ

チチの肺は水浸しだった

汲み出しても汲み出しても

肺の水はつぎつぎあふれ

汲み出す水に粘液が混じり

血が混じった


棺の扉は外から閉める

あの日 私たちは

溺れたチチを乗せた

鉄の魚を燃やした


参考資料・『人間魚雷回天』ザメディアジョン




アウシュビッツの残された数字


くにさだきみ


「ごらんください。この表を」と

青年のしなやかな右手は、

棒みたいに伸びて

目を吸いつけて

壁にかかった

一枚の表の上部の位置で、

ぴったり停止したのです。

と早乙女勝元さんは書いている。


ギリシャから連行されアウシュビッツ強制収容所へ収容された人数とガス室で殺された人数

















早乙女さんの目が停止したのは、

1943年3月20日という

アウシュビッツへの〈到着日時〉なのか。

それとも

〈出発地点〉の「サロニカ」だろうか。


たぶん家畜車に

ギューギュー詰めにされ運ばれて来たから、

(「サロニカ」を出発してから

 5.6日目の暖かい日和

 家畜車は、

 走る屠殺場に変わっていたからーー)

〈輸送人数〉・2800は

死者25名を含む生臭い数字だ。


〈収容された男性の番号〉

109371〜109787。

〈収容された女性の番号〉

38721〜38912。


それらはーー

囚人服に縫いつけられたばかりではなく、

腕にも彫られた

消せない数字。


女性の番号が

男性よりもヒトケタ若いのは

それだけ

ガス室直行の人数が多いということか。


この日生き残ったのは五人の中のたった一人だ。

早乙女勝元さんの

「地獄めぐり」が始まるのはそれからだった。


教室くらいの広さの展示室に

ピラミッド状に積まれたトランクの山。

洗面器の山、歯ブラシの山、ひげ剃りブラシの山。

眼鏡の山。入れ歯の山。髪の毛の山。櫛の山。


頭髪で織られた 布地やカーペット。

頭皮で造られた 半透明のスタンドの笠。

死体の

脂肪をかためて作った 固形石けん。

人間の皮を被った ハンドバック


男性の衣服 348,820着。

女性の衣服 836,525着

女性の靴   5,255足

男性の靴   38,000足

カーペット  13,694足


絶滅したはずのものが

乾涸びて

数字になって存在するのだ。


中でも凄いのはこの数字だ。











ざっと23行。

(判読不可能な文字もないことはないが)

蟻のつくった行列のように

ビッシリ書かれた数字の羅列は……


乾涸びてもいないのに、意味が読めない。


なぜならそれは

囚人の抵抗を記録する地下運動の暗号だから

――――

ナチスの犯罪を暴くための

収容所内の隠し文(・・・)だからー― 


アウシュビッツの数字は殺しても死なない。


資料 『アウシュビッツと私』早乙女勝元著(草の根出版会)

   『アウシュビッツ収容所』国立オシフィエンチム博物館(グリーンピース出版会)



日々のこと


りょう城


 誰かと知り合って少しずつ親しくなり、初めて一緒に食事をする時、少なからず緊張します。
この人は一体どんな風に食べるのだろう。やっぱり、手を使うんだろうか。そして、その人が食
べものを口に入れるのを確認したとき、安堵と同時に、同じしくみの体を持つ照れ臭さと、何と
なくむねが高鳴るのを感じます。普遍性にたいして、どきどきと切なくなるのです。

 「理想の直線」ということばを詩の中でつかったことがあります。理想の直線ABは、点Aと点B
を通り、無限に伸びていて、体積も面積も質量もないため、ひとの心の中にしか存在しませ
ん。そのようなものを共有できる、ひとのこころに感動をおぼえます。ひとは、普遍的なものを
つくり出すことができるし、まだまだ見つけ出せると思うのです。

 どんな混沌にも顔があり、流れがあるように、ひとのこころ模様にもはかり知れない普遍性が
あると思います。

 ところでわたしは、この世界と、自分が生きているということが、不思議で不思議でどうにもた
まりません。日常のレベルで、毎日ゲシュタルト崩壊を起こしています。(例‥この人とこの家に
居るけれど、いったい誰なんだろう?)ひとの命の終わりやはじまりに直面すれば尚更です。『ひ
と』という問いを抱きつづけています。かなしみは、宇宙とおなじ広さです。大きな秩序の中で、
ころころと歩きつづけています。

 駅のホームなどでおもしろそうなひとを見掛けると、つい小走りで後をつけ、観察してしまいま
す。でも、自分の家族を観察し、ものまねするのはもっと楽しいのです。ちいさなことの中に、喜
怒哀楽以外のものがなみなみと潜んでいます。

 この時代の、ひとりの表現者として、いつも姿勢よく泣いて居られれば良いと思います。吹き
さらしの心で感じていたいのです。

 眠る前にはニヤリと笑いたいのです。



詩を見つめる眼

――土井敦夫詩集『真夜中の自画像』


米川 征


 夢


 私には 核がない

流れゆくものに さらされ

しびれるような落日を背に

私には 歌うべき歌がない


 街角で ふいにすれちがった少女達よ

私には 返す歌がない


出船の灯が 瞳に映り

小鳥のような おののきを感じるが

私には 私の水脈がない


いつか見た風景の中に

孤児(みなしご)のようにとまどい

とまどうことの意味も忘れた

  

忘れたことはいくつもあったが

極北に氷塊した夢は

問いかけることがないというのか


時間は 脈はくのように正確だが

存在は 希薄である


手をさしだせば 届きそうなところに

夢という字をかけると

ぼんやり灯った向こう側から

湿った風が

私の 喉元をしめつけてくる


土井さんの二十歳代の作品の一つ。大学に進学して都

会での一人暮らし、自分自身との関係だけが純粋に自分

の前にあった。自分を自分ひとりで見つめ、自分のあり

方を自分で考えて決定して暮す。しかしそれは短い間の

モラトリアムにすぎない。土井さんは二十歳の頃、詩作

を始め、五年ほどでやめてしまった。就職をし、会社勤

めを始めて、詩作の暇が、あるいは必要がなくなったの

だ。会社勤めが始まると、会社の決定した日課表に従っ

て仕事をして賃金を得て生活をするようになる。自分を

決定づけるものが自分ではなくなり、社会の側になって

しまう。自分と向き合って暮すことがさほど重要なこと

ではなくなる。自分自身に核がない、自分自身に歌がな

い、あるいは自分自身に水脈がない、とある。社会生活

が始まれば、存在U自分の存在が希薄であるのは当然な

ことになって、土井さんも自分に向き合うことがなくな

り、詩との出会いも失って、詩作の必要もなくなってし

まったのだ。右の作品は詩作をやめる直前の頃に書かれ

たのだろう。社会の決定した枠に自分を嵌め込んでいくこ

とになる日々を前に、自分自身との関係をもういちど見つ

めなおし、決別する感情を言葉に象ったのであろう。そう

読んだのでは歪めた読みになろうか。社会生活の開始によ

って、抑制され、封印されていく精神があったことを切実

に記して残した作品として読むことで、意味を持つ作品で

はないか、と私は思うのだ。間もなく始める社会生活を前

にして、社会生活を自らに問い、思いにふける若者の姿が

くっきりと記憶される径い作品であるように思う。

 

 真夜中の自画像


 モディリアーニの絵のように

首を少し傾けて

君は暗い大きな森のほうを見ていた

君の瞳の暗い穴と 森の暗さが

一つに溶け合っていた


森の中には生者と死者が眠っている

闇は森の入口まで来ていた


生きてきた長い時間が

背後に点在する街の灯りとなって

こぼれている


星はなかった

凍りついた夢と共に

海のかなたに落ちてしまった


鼓動のように波の音が聞こえてくる


目覚めのあとの虚しい空白

煙のように漂い 消えていった

さまざまな残像への問いかけは

いつも少し遅れて

君の体内を霧のように濡らして

独りにする


君は森の中を歩き始める

ここには全てがあって 全てがない


森の中には湖がある

自らの存在の芯のあたり

はためく湖面に そっと触れてみる


この先 何が待ち受けているのか


枯渇した喉元

握りしめている手が

こんなにも乾いている


三十年間のブランクのあと、詩作を再開した土丼さん

の五十歳代の、詩集のタイトルにもされている作品。詩

集には土井さんの手になる油絵の複製が二つ入れてある。

一つは〈銀座和光ピと であり、もう一つは〈小樽運河〉で

ある。どちらも仕事の途次で、あるいは旅行先で、土井さ

んが眼にした実景の、その印象を描き残したものであろう。

描かれた風景を通して土井さんの心に見入ることになる光

と影に深い奥行きのあるある絵だ。ことに〈銀座和光ビル〉

は詩作をやめて社会生活に専心していた間の、土井さんの、

自分を見つめるひとときが窺われて、示唆深い。社会の枠

に自分を嵌め込んで暮らすことは、社会人、勤め人の自分

を演じていることだ。人間としての自分は決していなくな

ってしまったわけではない。抑制が緩むと、ふだん消えて

いる人間としての自分が台頭してくる。旅先の運河になっ

て、街中のビルになって、ときにはっきりと人の姿になっ

たりして。あるいは詩作をやめて社会的人間になりきるこ

とによって、土井さんもかえってそうした自分の台頭はと

きに強く感じられたであろう。その台頭こそ、土井さんに

とっても、大切な詩との出会いであったのだ。二つの油絵

の複製、そして右の作品にしても、ふだんは抑制されて消

されたものになっている人間としての自分が台頭し、描か

れ、書かれることで作品化されたのだと思う。詩集には土

井さんの自画像が並んでいる、という感じもする。その全

てに詩が宿っているように思えるのは、社会生活を続ける

中で上井さんは、本当の自分に出会うこと、それ以外に、

詩は存在しないのだと承知していたからであろう。右の作

品で、詩は瞳の奥にあるものだと言っている。その通りな

のだと思う。


 ●編集後記

▲今号の特集「数字のある詩」ですが、実は二番煎じの発想なのです。随分と古く、菊田守さ
んが進めておられた時期の「詩と思想研究会」での小講演の題名がそうであって、「飛揚」ニ六
号にその抄録が掲載されています。その元々は念が入ったことに、同じ年に開催された新潟
詩人会議の詩の学校の講師に呼ばれて出かけたときに、やはり同名の題で講演をさせていた
だいた。つまりそこには参加者がダブルことが無いだろうと若干のテキストの入れ替えで済ま
せたのでした。 

そのような苦し紛れの発想とそれこそ「吉兆」の使い廻しのような状態から生み出された、テー
マがなかなか頭から離れることなくあって、もう一度取り上げることにしたのですが、この数字と
いうのも一筋縄ではいかない永遠のテーマに繋がるもののようです。

▲同人の方々、ゲストで協力頂いた方には、別便でお知らせして、現在、アンソロジー『飛揚詩
集』(仮題)を企画・進行しています。

「飛揚」の創刊者(途中から同人制に移行)で、視点社代表の上村利子(としこ)が、この四月九
日に死去しました。十二日通夜、十三日告別式を舟渡斎場で近親者のみで行いました。上村
は群馬県・境町の出身ですが、五月二十五日葵生川の故郷、北海道・滝川の墓に納骨を済ま
せました。統合失調症の発症、脳腫瘍の手術、急性糖尿病による両足関節機能不全と、その
後の長年の闘病の末ですが、これまでの御交誼に感謝申し上げます。これまで三十三年間に
一一六冊の詩集、歌集、童話など。企画として障害のある方の作品集を「いのちの詩」シリー
ズとして発行し、アンソロジーの反戦三部集を反戦四人詩集『戦後からのまなざし』、女性反戦
詩集『平和への願い』、青年反戦詩集『明日へ』として発行するなど、詩作品だけではなく、時
代を証言するエッセイの併載で幅広い読者に届けるなど独自な活動を行ってきました。

今後は、長男の横山智教が発行人、葵生川玲が編集者として活動を引き継いで行きますので
ご声援いただければ幸いです。秋には、『飛揚詩集』の発刊とこれまで視点社の活動にご協力
頂いてきた方々とともにささやかな集いを持ちたいと考えています。

▲後期高齢者医療保険問題の残酷さは、単に法律の根幹を発想した官僚や政治家の姿勢だ
けではなく、今になって細部の矛盾や歪みを取り上げて見せるマスコミの騒ぎ方は救いようの
ない闇となって見える。何より庶民の暮らしを無視して、理念なき利益のみを追求する、財界と
一体化し利益の体系に系列化したマスコミは、常に目くらましの役割を担っている。自公の政
治利権の勢力と結んで、とうの昔に国民の幸福などの理念は捨て去っているのだから。    
(葵生川玲)


 

   





























「飛揚」46号

2008年1月7日発行


特集 身体の言葉


目次

●作品

骨――仲村ひなた 4

縮む――みもとけいこ 6

繁みを払う――米川 征 8

曲げる――沖長ルミ子 10

化石となる日――土井敦夫 12

五重の塔――伏木田土美 14

ココロとカラダ――くにさだきみ 16

歯がゆいこと――青島洋子 18

転写――北村 真 21

手をふる――葵生川玲 24 

●エッセイ

痛みをもって体感せよ――仲村ひなた 27

夜道の縄をまたいだ(くにさだきみ詩集『静かな朝』)――青島洋子 28

もどかしい場所に踏とどまろうとする志(米川征詩集『腑』)――北村 真 30

●近況

葵生川玲・仲村ひなた・米川征 33

●編集後記 34   ●同人刊行詩書 2  ●同人住所録 35

 



仲村ひなた


今の気持ちは?

と 訊かれ

嬉しい と答えた

肉より先に骨を晒して

言いたいことは

別のところにある


今の気持ちは?

と 訊かれ

悲しい と答えた

肉より先に骨を晒して

あなたは私に

伝えてくれた


見えないものの美しい肌を

美しいまま私に見せた


縮む


みもとけいこ


〈身が縮む思いです〉

なんど母に言わせたことだろう

身をすくめ背を丸め

ほんとうに母は小さくなった


もう

はるかに地上のすれすれを

這う母の暮らし


鼻がピノキオほどに伸びたり

そっくりかえって 腹を突き出して歩く


人並みに

そんな思いをさせたいと

思ったこともなくはないが


〈いつも用意がよかったね〉


もう使うことのない端ぎれをたたみ

もう作ることのないブラウスを消し

もう使うことのない食器を片付け

もう作ることのないメニューを消し

あれこれ指示を出しながら

その曰の

身支度を整え

縮み続ける母の体


〈おまえは また背が伸びたのか〉


さらに母は縮み続ける

母を見上げた記憶はすでになく

はるか過去から

母が見上げる声が聞こえる



繁みを払う


米川 征


言葉を投げ

言葉で構える


路地裏の押し相撲

鋭気を抑えて

踏み込む

すっと殺がれる

気負いをいなされる

持ち直して

ぐいつと腕を

引き付けてみる

重量が

意外に気味悪く寄る

撓って

ようやく持ち堪える


高みが揺れている

一粒の可愛いつぶらな芽が

怯えた顔で

じいつと見ている


まだまだ

と思う

捨て身にならざるを得なくなる

思い切って

下から斜めに体を払う


大きな繁みが

どっと落ち

覆いかぶさって

留まる


  曲げる

     ―オリばあさんの十年日記―


   沖長ルミ子

                         

指が曲がる 脚が曲がる 背筋が曲がる 腰が曲がる

乗り遅れたたバスは交差点をそっけなく曲がって


時間は何の断りもなく

大事なものを曲げていくので

この腹立たしい気持ちをどうしたらいいやら

オリばあさんはへそを曲げる


わけもなく曲がった心をもてあまし

人通りの少ない商店街を精一杯の早足で歩いて行くと

背筋をしゃんと伸ばした同年輩と思える人が寄ってきて

「お元気でしたか」とやさしく笑いかける

ハテ どなただったか

オリばあさんが問う前にその人はそそくさと行き過ぎ

突き当りの街角を曲がって行った


心の奥のしこりのようなものが

ほろっと解けて「ハイ おかげさまで」

オリばあさんは行き止まりの街角をゆっくり曲がる

先を行く人は誰も見えない

風が湿った腐臭を運んできて鼻が曲がる

早くこの道を通り抜けて

生まれたての風に吹かれたい

どのくらい時が過ぎたか いくつ街角を曲がったか

やっと見覚えのあるバス停を見つけ

今度こそ遅れないよ


オリばあさんはしみじみ自分の指を見る

脚を見る 背筋は 腰は 気が付くと

目の前に一人のオバアサンが立っていた

オリばあさんは挨拶をしてみた

背筋をしゃんと伸ばしてやさしい笑顔で

オバアサンは 「ハイ おかげさまで」と言った


指を曲げ 脚を曲げ 背筋を曲げ 腰を曲げて

乗り遅れたバスを追っかけ 交差点で捕まえる

新しい十年日記の最初のページに

オリばあさんはそう書いた


化石となる日


土井敦夫


隅田川の川面が朝陽を浴びて

銀輪のように輝いている


釣り人は橋の上から

魚のような顔をして釣り糸を垂れている


透きとおる群青の空のかなたには

永遠という名の雲が流れてゆく


だが 川岸には高層ビルが

墓標のように林立し

街は乾いて いつか見た

百分の一に縮尺された模造物のような

たたずまいを見せている


このきらびやかな明るさの中の

どこにも 等身大の私たちの影はなく

この風景の中に立ちふさがる大きな壁の前で

全てを不問にしたまま 孤立して

いずれ百分の一の塵となって

消滅していくのだろう


私たちはいずこから来て

いずこへ去ってゆくのか

知らされていない


山奥の闇の中で生息している獣たちの

うごめきと息ずかいか

叫びは封印されたが

森の中の深い静謐の中から

何か聞こえてこないか


薄暮を背負って 傾きかけた世界の

さらに傾いた 川の淵の木の下で

哀しみは消えることなく

化石となった



五重の塔


伏木田土美


地下鉄のシルバーシートに

疲れた躯を埋める

一冊百円でBOOK-0FFで買い込んだ

十一冊もの単行本

その重さったら

漬物石なみなのだ

それを札幌から苫小牧まで

持って帰ろうとするのだから


私の座席の

真ん前に

何故かおろおろと座っているようにしか見えない

中年の男

手にしっかりサミット袋を持ち

膝下にぶら下げているのだが

透明なので中身が丸見えで

一番下に弁当らしきもの二つ

その上に納豆五個

あれなんだ 国宝ならぬ

家宝 五重の塔


〈今宵も 貧しきもののいのち守り給え〉


本を右に左に持ちかえ

ゆすり ゆすられ

私は帰るのだが

家の灯も 星の光も遠い


家に着いたら

私も納豆ごはんだ



歯がゆいこと


    青島洋子      


「大きかったので

神経を削りました。」


昨夜私を眠らせなかった犯人を

医者は容赦なく削り取る。


「倒しますよ」

「うがいして下さい」

椅子を何回か倒される。

そのたびに

前面に広がる窓から

木々が緑の腕で

私の緊張を包むが

麻酔でこわばったうがいは

ゆがんで


「噛み合わせてみて下さい」

もとから狂っている噛み合わせが

いよいよ心もとない。

これで食べものを噛んできたのか。

消化してきたのだったか。


虫歯はまだ何本かある。

歯噛みする想いは数えきれないほど

歯が浮く言葉も何度か使った。

歯に衣きせないのは生来のこと。

歯がたたない教養や人徳を土台に

歯を食いしばるプライドがあり

歯がゆさばかり味わっている。


私をいたわり

他人をいたわり

深い井戸からくみ上げる

言の葉は干からびて

それがために根元から

蝕まれていた言葉の砦。


歯を治療したら

胃腸の具合が良くなったと

つい先日、

友人がせいせいした顔つきで

言っていたのを思い出しながら


「先生 言葉も良く噛みしめられる歯に

 して下さい」

私はよくよくお願いしたのだ。


  転写


   北村 真


   無口(*1)


黒い

油絵の具を塗った

藁の無口が

壁に

ぶら下がっている


その下に

反転した

無口の擦り出しが

貼り付けてある(*2)


馬房から

馬を引き出した農夫も

馬繋柱に

繋ぎとめた十勝の馬も

いない


影といっしょに

立ちどまる


かすかに

男の手と

馬の眼がにおう



 そり


白い

紙の上に

黒い轍が伸びている


その突先で

馬ぞりが止まっている


その前に

紙が巻きつけられている


春まで

届くほどに


 

*1無口(むくち)

牛馬、また犬の飼育に用いる道具

 *2

浅野修(現代造形作家)の転写作品


手を振る


葵生川玲


    *

そこに燃え残こる夕陽があって

静寂に鎮まる

草の原


赤くそよいでいる。


暗い影になって

トンボが

草から湧いてくるように

群れ飛んでいて

手にした

武器は

刀?

のように殺意の

意思を

煌かせている。


縦に振り下ろす。

横に薙ぎ払う。

斜めに払う。

飛び散る

草の穂。

草の葉。

草の茎。

散乱の

草いきれの中で

沸き立つ

悲鳴 !


赤トンボの胴体が千切れ

羽根が飛ぶ。


手を打ち振るのは

理不尽な貧しさへの

怒り?

諦め、

判らないままの衝動が

無数のいのちの

散乱を産んで。

    *

暮残る夕陽に

顔を染め

遠い時のスクリーンの中で

こころを

武器の形に伝えて

手が振られ続けている。

    *

次第に

静まる風景のなかで

影絵は浮かび上がらせている


明日に

手を振るように。



●特集エッセイ


痛みをもって体感せよ


仲村ひなた


 どんなに優秀な教育制度を敷いたにせよ、必ず弊害は

生じる。ただ日本の教育においては弊害よりも、利点ら

しい利点が見当たらないことに問題がある。と、大きく

出ていたが私は単に団体行動が苦手である。右向け右と言

われて皆が一様に右を向く、なんてのは薄気味悪い話だ

と思ってきた。そのお陰か、高校は三年で退学した。

 教育改革なんてものが審議され始めると、ならば自分

を呼んでみやがれと思う。識者や政治家などの高学歴の

人間では、役不足だと思うからだ。学生生活を疑わずに

過ごしたから高学歴なのであって、学校教育における改

善点を見つけるならば、教育を受けることに価値を見出

さなかった者を識者とし、意見を求めるべきである。一

時推した「ゆとり教育」も目立った成果なく、風化しつ

つある。授業時間数がより少なく学力のより高い国が存

在するのだから、効率化の方向は間違いではない。しか

し、改革に当たった者が詰め込み教育の成功者たちであ

った、この偏りが失敗を招いたのだとしたら残念なこと

だ。個人的な意見だが、中卒者が当たり前に生計を立て

られる社会を作ることが、「教育のゆとり」につながる

のではないだろうか。必要とするものだけが進学し、学

問を身に付ける。それならば統計上での学力は上昇する

し、小中学校で一通りの教養を身に付けるという作業目

標も生まれる。差し当たって、本来は尊いはずの一次産

業、二次産業の職を尊いものとして優遇し直すことが、

学問の質を高めることにもなるのである。

 一方で、凶悪化した少年犯罪に厳罰で対処するなど論

外である。子供と対する時に最も大事なことは、彼らが

社会の鏡であることをよく理解して臨むことだ。子供は

全身で感じ取り、表現する。良いことも、悪いこともだ

。「身体の言葉」と言ってもいい。従来の知識や理屈だ

けでは到底計り知れない言語が、そこにはある。受け止

める際には当然、痛みを伴うのだ。

 人間的な賢さや人格形成をもたらすものではない、教

育とは一個人に広い視野の獲得を促すものだ。劣等生と

いう大人たちにとってのリスクを回避することは、子供

たちが感じた社会の歪みを無視することであり、優等生

という鈍感な生き物を善しとするならば、社会はますま

す混沌としてあり続けるだろう。

 大人たちはまずもって体感すべきである。悪事の多い

子供ほど愛おしく、強烈な痛みをもって。



夜道の縄をまたいだ

――「静かな朝」くにさだきみ詩集 


青島洋子


 鋭い言葉の矢を放って、世界の日常に起きている矛盾と不合理を私たちの眼の前に示して
きた人は、常に消され続ける弱者をも書いてきている。

くにさだきみさん、妥協を許さない闘いの姿勢と詩作のパワーに私はいつも圧倒されている。
その作者の十四冊目の詩集『静かな朝』は、長男の自殺を通し年間三万人余の自殺者を出し
ているこの国の告発である。この国に生きる私たちへの呼びかけである。

少しだけ高い

手の届かないものに

届かせるために

使われてきた

踏み台」

(踏み台部分)

その踏み台が自殺に使われた。私たちはいつも今日から明日へ向かって生きている。生はそ
れ自体が少しずつ距離を伸ばし高みへ向かうものを潜在させているものだ。積み上げてきた
自分を足元に敷いて。だが、踏み台は蹴られた。

鉤という屈強の

カタチを逆さまに打ち込み

(天井ではなく)

ロープを 日常の/頻繁に使う作業机に結わえての

縊死であった。

(鉤部分)

なにが、なに故なのか、自身を疑問符にしての長男の問いに作者は詩の形を以って解こうとし
ている。彼は精神障害者自立支援地域センターの施設長として働いていた。広範なエリアを施
設長の他は女性職員一名という体制で、自治体とのやりとりから会員支援の活動が続いた。
夜十時、十一時という長時間労働の末に彼はうつ病になり施設長を解任され、自殺に追い込
まれる。平成十七年六月のことだ。作者はこの詩集を一周忌に編んでいる。

過労が肉体疲労を生み精神を病ませ自殺に至るケースが増加し続けている現代の典型的な
事件といえる。雇用者は労働者の健康と安全に責任を持たなければならない、という雇用者の
責務が崩れ、過労死と自殺が後を絶たない。一日に八十人余が自殺しているのに、ニュース
からも消されているその実態を、作者は言葉に消化していく。親という血肉を分けた存在をフィ
ルターにするまでの残酷な時間を私は到底知ることはできないだろう。

生まなければよかった

おなかのフクロにいれたまま

そっと

ひからせていたい

幼いものの

ままで

(ホタルブクロ部分)

は、残された母親の深い悔恨が蛍のように吐き出されていて胸を衝かれる。作品「法人『自然
舎』のいきもの」では事件を告発するには、未だ時間が必要と思われた。序としての引用文の
後の詩行では作者の感情の高ぶりが、私には作品を閉塞させたように感じられた。過酷な要
求と承知のうえで、くにさださんであればもっと深い認識に重ねられた記録に徹したら、事件が
普遍的な広がりを見せたのではないかと思われた。

「夜道の縄」はその点でも優れて感動を呼ぶ。「夜道の縄をまたぐな」という真栄田氏の詩「徴
兵検査」の引用は二連目、三連目に必然性を持ってつながり、息子を絞め殺したあの長いも
のへ至る。

最終連、

自裁

という言葉を

梁のあたりの暗がりに吊るして

「ふくれたりしぼんだりするもの」 息づくものを抱いて眠ると

胸の奥の

石垣に似た穴の場所から

ひかるものが

ふたつ

鎌首をもたげては「喉仏のところに」

にょろにょろと・・・と

巻きつく。

は、この詩集の最後にふさわしい覚悟を見せている。弱者を消して平然としている権力との終
わらない闘いに静かに息整えている作者の姿が見えて、私は安堵とともに凄い方だと改めて
思うのだ。

(視点社・一五〇〇円)


もどかしい場所に踏みとどまろうとする志

    ――米川征詩集『腑』を読んで

                   北村真


   1、もどかしい場所のありか

 峠から望む夜景、川沿いの桜並木、路地裏から見上げる空。だれもが、大切にしている風景
がある。だが、もし、その風景に靄がかかり、鮮やかさを感じられなくなったとしたら人はどう考
えるだろう。

 自然破壊や住環境の悪化など、見る側の健康を前提として、外界の変化に不安を覚えるだ
ろう。あるいは、風景は変わっていないが、視覚や体調の変化など見る側の異常を感じる人が
いるかもしれない。

 だが米川さんは、自然の変化が人間をゆがめ、人間が自然を受け止められなくなる、その両
者の相乗的なゆがみを感じる詩人である。

それは社会に対するゆがみを見詰める場合も同様である。世界は、そのような関係でしか理
解できないし、今日の生きにくさは、深刻な状況にあると米川さんが感じているからだ。

「枠と内外」という作品がある。

横になっても/眠れないとき//昼間の/鉄骨の四角い枠が体の中に入り込んで嵌まってし
まって//眠りたければ/昼間の自分を解体するしかないのだなと思っていた//でも寝返り
とか/無駄なあがきを繰り返していて//*//頭にさわっても/耳鳴りにはさわれない ぼ
くの内と//見て/分っていても//助けてくれるとはかぎらない/助けてやれるともかぎらな
い//ぼくの外と//仕方がないのだなと思いながら もどかしがっているだけで/もどかし
がってばかりいて//それから/これから

     (作品「枠と内外」全文)

 ゆがみは、枠(従来の形式)が新しく誕生しようとする内容との間で、矛盾を起こしている場合
のことだ。米川さんは、その枠が、自分の内側まではめ込んでいる不安定感を見過ごさない。
矛盾を意識することの、矛盾を解決しようとすることの、同時代の困難性をコミカルに表現した
作品だ。

 さらに、ゆがみそのものが、とらえにくくなっている、今日の深刻な事態を描いた作品もある。
詩集のタイトル名で、冒頭作品でもある「腑」である。

今日も/仕事先から/書いた物のつながりがおかしくないか/と言ってきた/おかしくないで
しょう/電話を切った/自室を出て階段に行くと/下から見上げる猫がいた/そいつを見なが
ら/踏み出した/足がふわっと宙に浮いてしまった/小用を済ますと/また電話が入り/つな
がりがついたという話であった          (作品「腑」前半より)

仕事先から「書いたもののつながりがおかしい」と、電話があり、しばらくして「つながりがつい
た」という連絡が入った。自分が介在できないまま、「書いたもの(自分に関すること)」の「誤解
と理解」(衝突と和解)が進むことの不快感。腑に落ちない状態。それは、あくまでも自分以外
の外部に対する苛立ちである。だが、米川さんの不快感はそれだけではない。         
           

すると三回目があった/再び階段に出ると/相変わらず/下から猫が見上げていた/階下で
はテレビが/もやもや雑音を流していた/踏みしめると腑に落ちない感触がした/腑とはどう
いうものだったか/ゼラチンでも踏むような心地がする/足の底に水膨れでもできてしまった
ようだ/雑談の合間/軽い笑い声がする/手すりが当面の救いとなって/腑に/まとわりつ
いた     (作品「腑」後半より)

 不快感は、電話の向日の人の行為だけでなく、三回目の電話で「雑談する」受けて、二人の
関係の歪みにも向けられている。テレビの雑音は一方通行の情報、見上げる猫の目は地に足
をつけたものからの視線、なのか。

その不安定感を最も象徴しているのは、腑とは何かと問い、「その場所がゼラチンのようにな
り、踏み出す足が水ぶくれになっている」という比喩。つまり、取り込んだものも、取り込もうとす
るものも歪んでいるという状態を、その不安定感を、現在の状態として、形象している。

 ゆがみを修正するためには、外を固定し、内を変容させなければならない。あるいは、内を
固定し、外を変容させねばならない。けれど、米川さんが、見詰めているのは、内と外との流動
的な関係性、そのものの理解と変容についてなのだ。それは、一方を固定して、理解と変容に
ついて考えることよりも、困難でもどかしいだろう。しかし、米川さんは、そのことを、その思考
や生き方を、もどかしいままつづけようとする。


   2、「もどかしい場所から見えるもの」

 私たちの感じるゆがみを、外界と内部の関係性において、つまり、不安定な視座から米川さ
んは、捉えている。  

今日の生きる危機の深さが浮かび上がってくる。 

その机にネームがあることは/それまで知らなかった//見えないところに名刺大の銀の紙
が貼られていて/それを記されていたのだ//で、剥がしたのだけれど/ネームはぴっと消え
てしまった

              (作品「モップ」部分)

 「机」に貼ってあるのが「人の名前シール」だったら、剥がしたときの寂寥感は、自分が属さざ
るを得なかった集団からの解放、人が人に帰っていくときの自由さをどこかににじませていた
だろう。しかし、米川さんは「机」そのものの管理番号を剥がしてしまう。「机」は「机」でなくなる
恐怖。つまり、「もの」が「もの」で無くなる、人が人で無くなる今日のリアルさが立ちあってくる。
そうやってでしか、回復されない〈もの〉の存在と人間性の回復。高度に管理された時代の持つ
生きることからの疎外感をみごとに掬い取っている。

日本は様変わりをしたな/でも このキレイさはあの街路樹とどこが違うのだろう//動く歩道
に乗っていると/竦んでいてもかってに動いていく/足許をすくうシステムが作動して/都内で
は/山手線の車内で 駅頭で大勢の人の足首から先が切断されていた          (作
品「恵比寿」部分)

キレイにガーデンプレイスされた恵比寿の町の街路樹

が、暴風で根こそぎめくられる風景。それは、キレイの下で進行する脆弱さ。経済効果最優先
のシステムが、人と自然を絡めとる恐怖。しかも、模造品のような樹木への対応は、人をその
ように扱うシステムと低通している。キレイであることが、人間の根源的な力の衰弱を招き寄せ
ているという認識を突き詰めてくる。

 「ノラさんに会った」「食品スーパーにて」「禍」など多くの作品がそのような視座から描かれて
いる。

 

   3、「もどかしい場所に踏みとどまる意思」

ところで、米川さんの、不安定感のままに、もどかし

い場所にいようとする意思は、詩人としての決意の場所

だ。たやすくは認識できずに、たやすくは変容できない

けれど、あきらめまいとする、人としての誠実なふるま

いでもある。

最期は/ひとり//おやすみ/をいって//だれも

そうするのだからと/自分に言い聞かせる//ねむ

らなければ/ならない//世界の外れで/ひとには

頼らずに         (青空「眠る」より)

肩から下げた鞄を/外す//日の沈まない/曇りの

日には//それがきみの/日暮れ//低くなっていた背丈がもとに戻れる/合図 

(青空「ひととき」より)

語ることはかたれないことを語ることである とか/見ることは見えないものを見ることである 
とか//広大な山裾の一画に小さな小さな石碑が忘れな草のように一つ立っていて 怨念が
/日付も建立者名もなく「慰霊碑」としか刻まれてないのが わざとらしくて//どんな巨大な人
工物も(駿河湾の豪華客船もテーマパークに横たわるガリバーも/ちっぽけに見えてしまう、
富士が隠されているのだなと広い広い裾野の一地点から空を見、//同様の目で、サティア
ン跡に枯れた草と妻が小さく並んで 撮れないものこそカメラに   (涼風《富士で》より)

その困難な場所にとどまろうとする、詩人の視線は、

哀しくて、清新で、ときに、たくましさを見せることがある。この困難な時代の有様をえがくことに
よって、自然や人間がもつ根源的な治癒力や回復力を、「ゆがみ」の奥底から掬い取っている
からだろう。

きみだけ/なのだ//乗り捨てられた/自転車が//盗まれずに/道で待っている 

(青空「自転車」より)

大きな靴底に/踏んづけられる前に 草むらに/思いがけなく陽が射して/快く 少し哀しくて
/歩いていったのだ/朝って/こんなものだったのかと噛み締めながら    (作品「ある朝」
最終連より)

(ジャンクション・ハーベスト 一八〇〇円)


●近況

 米川 征

 散歩がてらに出かけた陶芸の丘で青空の下、草の上に

並べられた陶芸愛好者の作鈷を見て歩いていた。ひとき

わ目を引くものがあった。皿でもない。碗でもない。花

入れの壷でもない。ただ土を加工して焼いた、陶そのも

でしかないもの。なんだろうこれは、と見とれた。そし

て、あ、これは好いな、という気持ちが募った。その日

以来、その陶を見るために丘の上まで通うようになって

いる。その陶の製作者は、これという能がない、と思っ

てきたわが家の妻なのである。したがって本当のところ、

出来損ないに過ぎないのかもしれない。が、もしかする

と、身近な妻にもこんな逸品が作れるのである。ならば

そのうち私にだって、と思うことで励みにしている。私

の近況は以上のようになるかな、と思う。


●近況

仲村ひなた

 民主主義の反対がすなわち共産主義ではない。共産主

義の反対は、資本主義だ。民主主義の反対は、君主政治

。つまり、この国では王様がいない分だけ皆が少しずつ

王様、なのだ。民主主義をそう理解している。

 私は詩というものを、既成外の事実を学び取るための

道具として使っているように思う。どうせ王様なら、社

会のために本当に尽くせる王様になりたいから。詩を書

こうという意識は全くなかった。ある日突然書き始めた

ものが、徐々に詩のような形になっていった。それから

はもう、五年になる。

 世間的には大学を卒業してふらふらしている、という

のが私の近況だ。詩人として後世のために身を削る覚悟

でいるのだが、手詰まりで…。だから今回こうして発表

の機会を与えて下さった葵生川さんに、ただただ感謝し

ている。


●近況

葵生川玲

 映画好きはどうにもならないあまり誉められた趣味ではないと思うが、まったくムダと燃える
時間を映画館の薄い闇の中で過ごすことも、日本映画華やかりし時代からの習性のようなも
ので、これも詩に向かう際の別次元の世界への自然な移行を果たすための心の準備なのか
も知れないなと思う。

 最近になって観たものは、「バイオハザードV」「ブレイブワン」「続三丁目の夕日」「幸福のレ
シピ」「HERO」

「レミーのおいしいレストラン」「ダイハードW」などだが、近年で最も面白いと思ったものは「ブラ
ッドダイヤモンド」で、産地であるアフリカと西欧社会との関係が良く捉えられていた。


●編集後記

十一月十八日小春日和のあとの木枯らし一号が吹き、急に寒くなりいよいよ今年も冬の到来
を告げているようです。炎暑の夏、外来生物の繁殖、海水温の上昇による温暖化の影響によ
って、災害の多発が日々のニュースとして伝えられていますが、何といっても環境破壊の最大
の要因である紛争と戦争が絶えない。格差・貧困の元である軍拡競争がさらに輪をかけてい
る。

●特集「身体の言葉」は、人間に最も近い自然であるからだについて考えて見たいと思ったか
らで、現在の孤立するかに見える精神性は、この国の伝統である自然と一体となって暮らして
きた時代から、都市への人間の過度の集中と無秩序な自然の破壊によって、精神世界の均
衡を崩してきた。それによって若い世代を含めた表現にも「自然への感受性の喪失」がもたら
す影響がでているというような感想を、若い世代の詩人たちの詩集を数多く読んでの吉本隆明
氏の語った言葉であるが、この喪失感がより際どいと思うのは自然に無自覚になることによっ
て生れる人間と人間の孤立の様相であり、貧しい日々の顕在化であろうか。

 特集テーマをお知らせしたあと、米川征氏から送られてきた作品集の題が『腑』であり、その
符号に驚くが、北村真氏がどう取り付いてくれたか楽しみである。

●若い世代といえば、今号に作品を寄せてくれている仲村ひなたさんは、昨年大学を卒業した
ばかりの方で、お便りを何回かやり取りして以来、「日本の詩祭2007」に大阪から参加、その
際にお会いすることが出来ましたが、仲村さんの作品集を読ませて貰う機会があり、その後好
きな詩人が黒田三郎であることなども知り、詩作に取り組む姿勢や社会に向ける眼が、これま
で接してきた若い世代の詩人たちと少し違うように感じたので、今号で作品を紹介することにし
ました。

●また、ブログや携帯サイトの急速な普及によってインターネットを通した詩や文学、表現に係
わることが、今後何を生み出していくのか簡単には言えませんが、ただ、安易とも思える「小
説」風の作品が量産され、映画化に結びつくなど、その流行が凄いスピードで消費されている
のは、少しく異常に感じます。

 二〇〇七年九月に発刊された『ネットの中の詩人たち』5・島秀生編・著のあとがきで、「これ
はネット詩の特性でもあるのだが、草の根の書き手たちから、新鮮ないい詩がどんどん誕生し
ているにもかかわらず、意外に人の目に触れることなく、すぐに流れて消えていってしまう。そ
の消失の早さに、私はちょっとずつの心の引っ掛かり〈それでいいのかという想い〉が残るので
ある。」と書かれていて、共感とともに、現在は詩を生み出す側に少しでも丁寧に寄り添ってい
たいと考えている。             (葵生川玲)



「飛揚」45号

2007年7月7日発行


定価500円


2007.7   飛 揚   NO.45


目次

●作品

銀月――古島誓司 4

真夜中の自画像――土井敦夫 6 

夏の階段――北村 真 8

白い道――米川 征 10

本屋の隣で――沖長ルミ子 12 

アキヤマさん――みもとけいこ 14

校庭のはるにれの木――伏木田土美 16

雨季間近――青島洋子 19

トラトラトラ――葵生川玲 22

爪を切りながら――くにさだきみ 25

●エッセイ 

メールという名のコミュニケーション――土井敦夫 30

アトピーとキジムナー――古島誓司 31

●近況 古島誓司 みもとけいこ 32

●編集後記 32   ●同人刊行詩書 2  ●同人住所録 29



●詩作品


銀月


古島誓司


月って、静かやね……

ひと言も、話さへん。

白く 銀を放ってはるだけ……


そやのに

なんでやろ、見上げさせはる……


無色の音色

星辰も みんな 黙ってはる。


必要が あらへんねん、ね。

話さんでも 染み透って来はる。


大気にも 音階はあらへん……のに、

Echoが 途切れへん。


地球の影さえ

背中の太陽光の 鏡になって

あんなに静に映し出しはる……


静謐の

銀の星。

 




真夜中の自画像


土井敦夫


モディリアーニの絵のように

首を少し傾けて

君は暗い大きな森のほうを見ていた

君の瞳の暗い穴と 森の暗さが

一つに溶け合っていた


森の中には正者と死者が眠っている

闇は森の入口まで来ていた


生きてきた長い時間が

背後に点在する街の灯りとなって

こぼれている


星はなかった

凍りついた夢と供に

海のかなたに落ちてしまった


鼓動のように波の音が聞こえてくる


目覚めのあとの虚しい空白

煙のように漂い 消えていった

さまざまな残像への問いかけは

いつも少し遅れて

君の体内を霧のように濡らして

独りにする


君は森の中を歩き始める

ここには全てがあって 全てがない


森の中には湖がある

自らの存在の芯のあたり

はためく湖面に そっと触れてみる

 

この先 何が待ち受けているのか


枯渇した喉元

握りしめている手が

こんなにも乾いている



 夏の階段 

           

北村真


       

開け放たれた

縁側の柱にもたれ

トキヤンが座っている


シャツとステテコ

曲げた右脚を両腕で抱え

膝に坊主頭を載せたまま


右隣に

茶色い革と金属の脚が転がり

左脚の腿先は薄い布をだらりと垂らしている


庭の畑で

地を這うかぼちゃの蔓が

その突先で蛇のように頭をもたげ

小芋の葉の上で輝く朝露が

銀色の眼のように揺れている


センボツシャ

イレイサイの朝


降りしきる蝉の鳴き声を

振り払いながら

トキヤンの畑を通り抜け

長く急な階段をのぼる


父の汗ばむ白シャツの影を踏み

くそまじめな顔をした兄の横で

黒い数珠をにぎる


誰のために

なにを


いない人の名前ばかりを刻んだ岩の後ろ

杉の樹のコケのにおいのするあたり

夏の階段をのぼるムネヤンの足音が

コツンコツンとやってくるから

目を開けたまま

手を合わす


白い道


米川 征 


海岸の松林

あれは黒松だったか

赤松だったか

低木だったか高木だったか

地元ながら 曖昧になっている


フェンスに沿って歩いていくと

門衛に止められる

さらにいくと

また門衛に阻止される

回っては拒まれ 拒まれては回る


それにしても

五キロに及ぶ松林を囲って

地元民には立ち入り禁止の

すっぽり空を隠して

大シートが被さっている


かつてのドブ側も整備され

奇麗になった

その川沿いの道も

コンクリートに変わってしまい

立ち入れない敷地に組み込まれている


傍らに藪がつづいて

松がちらほら立っている

裸足で駆けていくと

海に出た 出たはずの

白い砂の道を 日傘の妻と求める


本屋の隣で


沖長ルミ子


町のおばあさんの家に

私はしょつちゅうあずけられた

駅を右手に見て踏み切りを渡り

テンジョウ川に架かるオカゲ橋を渡り

川土手のダラダラ坂を下りると

本屋の前に出る その隣がおばあさんの家

いつも家に入る前にかならず本屋に寄り

コロポックルに挨拶する

コロポックルが住んでいるのは

みかん色の表紙のぶあつい辞書のような本の中

雑誌や絵本がならんだ台の端にいつも

忘れ物のように置いてあった本の中

 かぜにのってくるコロポックル

その言葉を見つければもう満足

「こんにちは さようなら」

本屋を飛び出す


「この川は天上川なんだよ」

橋を渡りながらおばあさんがぼそりと言った

子どものいない伯父さんと伯母さんが

うちの子にならないか と言った日だった

空は曇って今にも雨が落ちそうだった


夜 天井が川になる

伯父さんや伯母さんの目が

じっと私をつかまえているようで息苦しい

額や胸やおなかの上をごうごうと水が走る

眠るのが怖い ねたふりをする


朝 本屋をのぞくとみかん色の表紙がない

誰が買ったのだろう いや

誰かが盗んだにちがいない

もしかして夢の中の私かもしれない





アキヤマさん


みもとけいこ


アキヤマさんは

合鴨農法でお米を作っている

青年である


アキャマさんは 痩身で背が高く

しなやかな動作で 農作業をこなす

濃いあごひげをたくわえ

漆黒の瞳をしているが ときどき表面が

コバルトブルーに見えることがある


水田のうえに広がる真昼が

青すぎるせいだろうか


アキヤマさんの農作業を

姉さんかぶりをした

小さなおかあさんが手伝っている


台風が通りすぎた日

吹き飛ばされた合鴨の雛が

近くの小川で成長を続けていた


噛犬の噂をもった人の飼い主が 犬を放ち

犬はずぶ濡れになりながら

合鴨を追いかけていたが 最後の詰めで

水に潜られて 見失ってしまう


飼い主は舌打ちし

見物人は笑いをかみ殺し アキヤマさんなら

こんなことはしないと 聞こえない声で囁きあった


アキヤマさんは 注文した合鴨米を

玄関まで運んできて

<合鴨のお肉は入りませんか>と微笑みながら言った


そのときアキヤマさんのまなざしが

どの真昼より明るいコバルトブルーに


校庭のはるにれの木


伏木田土美


ほっかいどうの

ある小学校の広い校庭の真ん中に

創立当時の校長先生の決断で

伐採されず

唯一残された

はるにれの木がある


さわさわとみずみずしい

その木は

校長先生からの緑の手紙

窓に歩み寄る生徒たちに

木のまわりで遊ぶ子ども達に

語りかける言葉


〈みんなで仲良く 勉強しましょう〉


囁きは風にのる


〈自然に人間のこころが寄り添うと

 木を登りつめる水のような足取りで

 平和がやってくるのでは……〉


はるにれの木は枝がとても多いので

強風に叩かれ 枝が折れ

いくつもの洞(うろ)ができる

小さく 深い 丸い傷口

しかしそれは笑いのかげにかくしている

私の傷口 洞とはまるでちがうのだ

はるにれの洞は

風が休む部屋になり

生徒の歌を聴く耳になり

遠い森林から

点在する木々の間を

滑空してきたももんがの

上等な家になる



洞からのぞくももんがの

大きな黒い眼

未来をみつめる生徒の眼



雨季間近


青島洋子


雨季は間近だった。


桜と雪の出番の狂いを

取り戻すかのように

木々が懸命に匂い立つので

忘れていた傘を開く。


遠く雷鳴(ト書きではなく)、

すると早足の大粒の夕立が来た。

少年たちの夏は

幾度か濡れねずみになった。

(コンビニも透明ビニールもない、野原があったから)


季節がはっきりしていた頃

人の心も豊かだった。

春の夕焼け、傘を持て

秋の夕焼け、鎌を持て

自然と結んだきまりごとは

明快で楽しい。

濡れれば人も雨の匂いがした。


この頃他人に

傘さしかけたことなどない。

さしかけられることも。

降らぬ先の傘のことわざを

知るもしらぬも、

繰り返される気象予報の

傘マークには傘をと、出て行く。

留学生のチムールやサーシャは

予報が雨でも傘を持たなかった。


春の夕焼け、傘を持て

秋の夕焼け、鎌を持て

言葉が事典の中だけになると

雨の匂いも思い出せず

季節があいまいになる。


年中折りたたんだ

不安の骨を開くと

瞬間、

自動式の音をさせるだけの


傘が並ぶのだ。



トラトラトラ


葵生川 玲



インターネットの光通信の情報に紛れ込むメー

ルの印字に 再び浮かび上がる恐怖の信号。

「トラ トラ トラ」。


不気味な音をたてて飛来するモスキートの群れ、

狙ういのちはあなた

恐怖は三倍拡大のズーム画像に浮かび上がる。


〈媒介する


ありふれた〈やぶ蚊〉の増殖が

二十余年をかけて、

「一九八三年七月、テネシー州メンフィスの墓地で初めて発見。

テキサス州ヒューストンにも上陸。二〇〇一年には首都ワ

シントンに進出。今は全米を席巻し、南米にも勢力拡大中。

一九九九年、ニューヨークで流行し、パニックを起こした

西ナイル熱のウイルスも媒介する。」と

真珠湾へ

アメリカ本土へと、

「アジアの虎」

恐怖の生物兵器が進出していると伝えている。


帰化するものは、

お互いさま

人の移住と同じく

いつしか許されてしまう世界のルールだから。


トラトラトラ、

ありふれたヤブ蚊〈ヒトスジシマカ〉恐怖の命名が、

胴体にくっきり印された虎模様が、

羽音を唸らせて襲来する。


未知の生物たちの肌に止まり

初めての体験の針をねじ込み、

鮮やかな血の色を腹一杯に吸い上げる。


温暖化・京都議定書に叛いた

明日からの警告だと、

H・ラリー博士は環境省の調査報告書に答えている。


〈媒介する 恐怖


一族の繁栄を

数量と代を重ねるためだけに。

そして

北へ

さらに南へと。

温暖化で緩みはじめた風景の新しい世界へと。


つぎつぎに立ちあがる悲鳴

の打電が、

トラ トラ トラ。



爪を切りながら


くにさだきみ



爪を切りながら想う。

肉体は

武器。

ブラット・ネバー・ドライ

乾くことなく血が流れる。


〈ぼくは体を爆弾にする

 シオニストの体をぶっ飛ばしてやる〉


テロリズムは「弱者の武器だ」というけれど、

爪は 指は 腕は

子どもは

ことばもまたー―

武器だろうか。


〈ぼくの手と腕を元に戻して!

  自分の手の動くのが見たい。

 平和がいい。

 ぼくの手をめちゃめちゃにしないで!

 吹きとばすのはやめてよ!〉


爪を切り

父もまた爪だけを残して

匪賊とよぶものを征伐していた。

(体を武器にはしたくないのに)

「軍人」とよばれて……


「生きて帰った証拠だよ。」

と母は

封筒のなかで乾きつづける十本の指の

十片の爪を

風琴の鳴る

淋しい箪笥にしまって笑う。


平和維持軍とよばれている米兵はいう。

〈彼らを見るたびに息子のことを想い出す。

 ほんとうに小さいんだ。 

 ちいさいよ。〉と。

九歳の子どもの背負う

背丈にあまるカラシニコフ。

ひょっとして

あれは武器ではないかも知れない。


こども兵という貧しい国の残酷な兵器。


〈ぼくはスパイだった。

 売るためのタバコやピーナッツを渡され

 情報を集めるんだ。

 反体制派が武器を保管している場所

 やつらの武器の種類

 基地の場所なんかを突き止めた。〉


日華事変のときも

こども兵はいたのだ。

「軍事郵便」と書かれた封筒の中の

日の丸の旗をもつシャオハイ。

父に肩を抱かれ

父とおなじ戦闘帽を被っている。


殺してきたから殺されなかった。

たったそれだけのことかも知れない。

「生きて帰った証拠だよ。」

生爪(なまづめ)は

箪笥のなかにしまわれたままで……

風琴はもう鳴らなくなっている。


〈夜は最悪。こわくて眠れない。

 眠ると死ぬから……

 誰かが銃をとってぼくを撃つんだ。〉


こども兵の母親も

こどもの爪を切り箪笥の中にしまうのだろうか。

箪笥の中で

風は鳴るのか鳴らないのか。


「夜爪を切ってはいけないよ。

 親の死に目にあえないからね。」

そう口癖みたいに言う母だったが

「殺して帰った証拠だよ。」と

決して母は言わなかった。


爪を切る。

いま

自分の動く手を見ている。

「夜爪を切ってはいけないよ。

 親の死に目にあえないからね。」


  資料 P・W・シンガー著 小林由香利訳『子ども兵の戦争』

     (〈 〉内は「子ども兵の戦争」より引用)



 ●エッセイ


メールという名のコミュニケーション


土井敦夫


 私達はお互いを理解したり、認識したりする時、相

対する会話によって行ってきたわけだが、昨今の急速

な携帯電話及びパソコンの普及によって、多くの意思

の疎通は、相対することなくメールと呼ばれる伝達手

段によって互いに交換しあう。しかし そこには、伝

達する言葉(記号)はあるが、それ以上の内容は無く、

その言葉によって深い影響を受けることもない。限定

された人達と限定された言葉でメールを交換し、特別

にそれによって傷つけられたりすることもなく、暗黙

のうちに互いの中に深く踏み込むことは避けることが

マナーのようだ。

だがこうして非常に限定された世界で、さらに限定

された人達だけで主に生きていくということは、それ以

外の世界に対してはさしたる興味もおぼえず、しだいに

不感症になっていくということ だ 。不感症になるとど

うなるのか。それは自分達の世界の外に対しては、理

解することができなくなるということだ。膨大な情

報量と対極に、倭小な個の世界の流動化した状況の中

にあって、 生身の 裸体を外にさらけ出せば、人は傷

つく。場合によっては傷だらけになる。しかしその傷に

よって、私達は世界(社会)と拮抗し、その傷ゆえに人

は成熟していくのである。私達は社会との関わりの中で

しか、自己を物語れないし、自己実現はその社会との

関連の過程の中生まれてくるのである。

 成長とか発展とかの言葉を見聞しない日はないが、

成熟という言葉はすでに死語になったか。



「アトピーとキジムナー」      古島誓司



三月五日。「今度、遊びに来て下さいね…」と、僕のような青二才に平身低頭に接して下さった
船越義彰先生が亡くなられた。慌てて図書館で義彰先生の著書「きじむなあ物語」を借りて読
んだ。キジムナーは妖精だ。それが人間の想像の世界でこねくり回されて妖怪に化けさせられ
てしまったと物語のなかでキジムナーは嘆く。「きじむなあ物語」の『禁忌の伝説』の章は記す。
「いつの頃からか/きじむなあは/太陽を避けるようになった」「そんな 大昔/きじむなあは
/太陽の光りのなかでも平気であった」「太陽を忌避しているのではない/太陽の眩しさと 明
るさと/灼けつくような熱気が/きじむなあの体には/あわなくなっているのだ/要するに ア
レルギーなのだ」「きじむなあは/太陽を嫌っているのではない/太陽の存在価値を正しく認
めている/ただ 体質的な面での問題なのだ」(十二〜十五頁)

 僕も紫外線に当たると、アトピーが顔面に出る。太陽を忌避していなかった古来のキジムナ
ーと重なる。ウチナーグチで言う「アカジラー」だ。キジムナーは顔が赤ければ赤いほどハンサ
ムだという。だったら僕もキジムナー世界では美男子だ。物語はこうも語る。「きじむなあが/
人間にのぞむのは/たとえ 心は通わなくなっても/人間の心のどこかに/きじむなあの存在
を/たのしい/ まぼろし/としてみとめてほしいということだ」(四七頁)

夏が来る。アトピーで顔面が赤く爛れるたびにキジムナーに想いを馳せたい。赤く爛れた自分
の顔面に落胆する必要もないわけだ。

「神さまってホントにいるのかな?」。そんな馬鹿げたことを呟く人がたまにいる。僕は答える。
「いてもらわんことには困る」。月の神々でさえセレネ、月読命、松乃美神、マティヌ・ンメーヌ・
スラガナシー…、沢山おられる。太陽神は天照大神、久高島では王礼乃神ともニレーウプヌシ
ガナシーとも。ギリシア神話ではヘリオス、古代エジプトではアメン。枚挙に暇はない。大体が、
たかだか一八〇〇tだか二〇〇〇tだかの首の上に乗っかった蛋白質の塊で神々を測ろう
などと、それ自体が愚か極まりない。祈りと感謝は、古来より人間を謙虚にさせてきた。自然を
大切になどというけれど、元来僕たち人間自身が自然の一部であること、宇宙と等価値の時
空そのものであることを忘れてしまってるだけの話じゃないか。


●近況

みもとけいこ

体が弱くてよく寝込むということはないが、体力に、自

信が持てないところがあって、健康雑誌、健康法には異

様に興味を持つタイプである。二年半看た認知症の義母

を施設に送った、束の間のゆとりの時間。化活のリズム

を整える意味も込めて、太極拳の教室に通い始めた。

 始めて1カ月弱。一週間後の次の教室の日までには、

まっさらになっている。指導してくださるのは、八十四

才の母の世代の先生。過日来日した温家宝中国首相が東

京の街角で、太極拳のパフォーマンスをしている姿が放

映された。素人目にも「なにかへん」と思いながら次の

教室に行くと、ポーズが決まっていない、あの人は習っ

たことがないんじゃないか、というのが母の世代の先生

の意見だった。しかしこの教室で習いはじめたことは、

私にとってあくまでも酔拳や蛇拳に辿り着くための、最

初の一歩、なのである。

●近況

古島誓司

十六年前に会ったきりの関西の友人が自殺した。移住

した沖縄から、関西大震災の傷跡が生々しく残されたま

まの尼崎市での、彼の結婚式で会ったきりになってしま

った。遺書らしきものがあったのかどうか、まだ分から

ないまま。連絡を取り合った関西の友人が言った、「こ

んな時にしか連絡とりあえへんオレらって、一体なんな

んやろう…?」

 僕は、海の隔たりの距離を言い訳にしてないだろうか。

何も答えられない自分に、言葉を呑むしかない。その二

週間後。別の関西の友人が仕事中に事故死した。即死と

聞いて、それだけでも良かったと思った。その翌々週。

今度は僕が原付バイクで事故。前輪に釘が刺さり、気が

付けば救急車の中だった。

「ただその死に方とその順番が違うだけ…」。そう自分

に言い聞かせている…。


●編集後記


世の中の動きがいよいよ尋常ではなくなってきている

のを実感する。そんな日常を覆う寒い感慨に添って、ネ

ット社会の急拡大は殆んど何も検証することなく、経済

中心の成果を求めて暴走をしている感じがある。世相は

弱肉強食のバブル時代を髣髴とさせるが、いまはネット

によるバブルの渦中にあると言って良いのかもしれない

ね。これまで歯止めとしてきた政治・教育・伝統の及ぼ

す倫理がすでに崩壊していて、強いもののやりたい放題

 がまかり通っているが、その中で自壊への道を一路突き

んでいるようにみえてくる。

 今号に初登場の古島誓司氏は、この二月の「東日本ゼ

 ミ・沖縄で知り合った大阪出身・那覇在住で精神保健福

          祉士をされている三六歳の新進の方です。 〈葵生川玲〉        




「飛揚」44号・特集「プラスチック」

2007年1月7日発行



 朝焼け


 北村真


三角の沈黙だ


無人駅の待合室


始発電車を待ちながら


ドアを閉めても


温まらないのはそのせいだ



半透明の壁に


五本の折れ線が走り


その真ん中に穴が開いている



なぜ


なんのために 


疑問は


尖った破片のように


今日も行方不明だ



だれかが


ここで


脚を振り上げ


壁を蹴破り


叫びの声紋を


プラスチィックの壁に記したまま



「蹴破るもの」と


「蹴破られたもの」との間で


ずれつづける


記憶が


ある



暖められた空気が


頭上から降り注ぎはじめても


足元から冷えた風が


吹き込んでくる



哀しみの直線で描いた


怒りを抱きかかえたまま


傷口は


朝焼けを浴びて


美しく輝いている





白い箸



伏木田土美



減少し続けている日本の木の状態


海外の木も伐採し輸入しているわけなのだけれど


このように割り箸を使い捨てるのは


いかがなものであろうかと


お話しすると


いきなり


手掴みで食事をされ始めた


白髪の旅の詩人がいた




しかし 当の本人は


そばをかきこむときも


兄の骨を拾うときも


いまだに割箸を使っている




たぶん 私を拾ってもらうときも……




地球温暖化がひたひたと迫ってきて


生存するものの足元を刳ってゆく


秋刀魚も小型化してゆき


木もまた追いつめられてゆく


このまま推移すれば


木棺は高価になり


貧乏人達は安価なプラスチック棺に


納められ


ゆらゆらと揺れながら


風のなか運ばれるのであろうか


まだほのかに温かい灰の中から


大切な人の骨を拾うのも


追いつめられた時代では


現代科学が作りだした箸?



〈捨てることを(捨てられることを)前提に必要とされるもの〉



白い箸で未来の悲惨の背骨を掴み


陽にかざす




海を断つ


みもとけいこ



海の断面を見に来ませんか



切り取られた海が


建物の中に運び込まれ


展示される




つるつる光る海の切り口の前に立つと


魚の種族になったようだ




回遊魚が泳いでいる


静止すれば 直ちに呼吸が止まってしまう


こんなにも狭い海を巡っていることを


魚は気づかない


匂いのない海


波のない海


誰が望んだのだろう


透明なプラスチックの分厚い壁が


陸の上に奇妙な海を出現させた




強化プラスチックが歪める


億年の時間が ここで


接着され


魚族と 向かい合う




海の断面で


魚の眠りの断面を見る


魚の夢の断面を見る




モーゼではない


今 人が海を割り 海の断面が


剥き出しになる


人 であることに飽きた日には ここで


億年の時間を回遊する




人のいない街


土井敦夫



かつて都会のいたる所に


凭れるように立ち並ぶ古い木造住宅を


破壊して立つ 高層ビル群


明るい華美だけの形態


空高く垂直に伸びていくことに


ガラス細工の夢を託して




ビルの谷間の空き地には


咲き乱れるコスモスの花の上に


夏の終わりの萎えた陽射しがふりそそぎ


その美しい花びらの下には


朽ちかけた無数の茎が 廃墟のように点在していた




その中で時間は 果実のように


ゆっくりと腐乱しはじめていた




わずかに地名だけを残した街の風景


目をつぶって耳を澄ませば


はるか遠く 石畳に吸い込まれてしまった


子供達の歓声が聞こえてくる




生あるものの微かな息ずかいと


たった一つの痕跡すら残せない


薄い影の群れが瞳に映り


またたくまに風のように吹き抜けていく


黄昏どき




街中の対話という名の 言葉を


どれほどあびせられても


いまだ 私は口をつぐみ


鮮血の夕映えの中


言霊(ことだま)は 花の上で風に揺られている




季節禍


米川 征



ウザイからあっちへ行け


ウザイから退け


私は言われたことがなかった


外から帰ると


井戸で水汲みをする


風呂の焚き口で火吹き竹を吹く


終れば椀を洗わなければならない


子どもだから


悩まされる土にいないわけにはいかなかった


少しずつ少しずつ


変化が手、品を変え


慢性的にくりかえし


どこからか気づかなくなっていたのだ


気づいてみれば


井戸や家


悩まされ続けた土までどこかへ流れ去っていた


ウザイからあっちへ行け


ウザイから退け


私は子どもに向かっても言う


たえず


嗽をして手を洗う


終れば部屋にこもり


くすりを塗る


花粉に気触れる


蒸す時季には赤い疹が虫が涌くように出る


太股や腕


痒みが体全体に続いてしまう


アナーキー化した


免疫のせいらしい


「『いじめ』と『笑うカイチュウ』」


が記していた


太古から悩まされて続けてきたくらし


をやっきになって共生もろとも放逐した日本人


免疫が


各人の体内に


防衛機能を具えたまま取り残され


的外れに振る舞う




*「『いじめ』と『笑うカイチュウ』」は藤田紘一郎氏の著書。




プラスチック


くにさだきみ



〈スナックの奇麗なママさんから貰ったのだ〉


とヒロミさんは書く。


〈僕はそのひとが好きだったが


 一言も言い出さなかったし……


 ただなにかの拍子に


《これあげようか》《うん》


それでもらいうけたものだ〉


とヒロミさんは書いている。




ヒロミさんの書く〈造花のバラ〉はプラスチック。




〈今はその店に行くこともなく…


 毎日ながめて暮らすだろう〉


と書くのだけれども、


ヒロミさんのバラは散らないし


しおれない。




「これあげようか」


綺麗な


あの日のママさんがいう。


「うん」


とヒロミさんがもらいうける。


〈テレビの上の造花のバラ〉




〈今はその店に行くこともなく…〉


〈造花のバラ〉には


そうか書かれているのだけれどーー


嘘でしょう。ヒロミさん!


今も


あなたはその店にいるし


たぶん


〈これからもずーっと……〉




散らない


しおれない


(プラスチックの)


〈真赤〉なもの。



〈 〉部分は斎藤寛窮詩集『ひまわり』より「造花のバラ」の

   詩句を引用。




「プラスチック言語2007」


葵生川 玲




思考の節約という


キーワードが、


沈黙の海を漂っていく。




世界の枠組みは、


文明の正しい方向に向けて一目散に走り回る


新種の用語が指し示しているのだ




欠けた全体知




埋めようとする言葉の類が求められているから




思考の類が躓きながら追いかけている。




空気読みばかりのぎらついた


目の並ぶ先の先には


今日の空が白いスクリーンとして広がっている。




快いばかりの、


、句読点を天辺に置いたり


。を段違いにばら撒いたりする


類型の


Yさんばりの


抒情の言葉がもてはやされているのも


思考の節約のためなのか。




「美しい国」に


「日本」を繋ぎ合わせて、


何か日常が飾られた 




言うように、


演説の言葉はモザイクの積み木の一塊りのように


内閣府のホームページに掲載されている。




変幻自在に形を変える


手軽な甘い言葉として、


メディアや政治の演説に混ぜ合わせることで


直接の批判や、


盗作の疑問のダメージを受けることなく、


人々を何となく心地よく同意させることができる。




意味が大きく変わっているのに


正確な定義が問題にされることはない。




「耳に心地よい言葉だけが、アメーバのように


 変型しながら世界を席捲している」




「プラスチック言語2007」


言葉の触手は、


心脳の揺れに合わせて流動している。


磁力を強めて


意味から逃走を始めている。


未来社会を創るために、


言葉の意味と豊かさが抜き取られている。






(回覧連詩)


 


プラスチック




葵生川玲 


定義の失われていく時代に


思考の節約が言われ、


白く拡がる闇に


増殖する、


ヒラヒラのことば。


米川 征 


その類型の一片を


血の消えた唇に触らせて


刃先を引く、


リストカットする抽象的存在の


増殖する


北村 真 


静かな力をこめて


プラスチックの夜に


刃先をあてる


不器用に切れ切れの線が


言葉となって浮かび上がるまで


くにさだきみ


夜に刃先をあてる


石油の一滴は血の一滴


     松根がつくった人造石油


     プラスチックがこしらえる人工臓器


はてしなく増殖していく 血と油と


土井敦夫


 色とりどりのカラーに染められた


プラスチックな言葉の 海におぼれて


空白の朝


忍び寄る虚無の質量に


対峙することができるか


青島洋子 


虚無の繁殖が


半透明の朝を産む、


春告魚が


プラスチックを吐き出す


海。


伏木田土美


渚で発光するものを探す


波が運んでくる言葉


丸くなった木片 貝 石 昆布――


プラスチックやビニールをかきわけると


生きていたもののこころのかたちが……


岡本達也 固さの内に溶けていく


科学技術の空虚と


増殖する矛盾


夢と絶望の詰め込む


プラスチックが破壊する瞬間


みもとけいこ


プラスチックを食べてしまう微生物がいるという


人が創ったものはすべて 科学技術も矛盾も


空虚さえばりばりと噛み砕く歯を持ち


孤独も嘘も みんな餌にして肥え太るという話だ


そのうち人さえ丸飲みにする という話だ




「飛揚」44号特集「プラスチック」の一環として、回覧詩を行

いたいと思います。締め切りまで、回わることのできる限り進

めて下さい。(書いていない人に宛て回覧してください。)

規定は、題名なしの、五行。前の作品の中で、気になった語彙

を必ず入れること。取り決めはそれだけです。また、到着から

一週間以内に必ず次の人に送り出して下さい。



●編集後記


この秋は何かと関係の催物が多く、出掛ける機会が重なり、またその分沢山の未知の方々と

の出会いもあり、楽しい時間を過ごすことができた。

愛媛・松山、岐阜・大垣、宮城・仙台とそれぞれの地域的な違いと私自身の思い込みを覆す、

新たな出会いは、年齢を重ねるごとに貴重な深みを持ってくるように思う。「飛揚同人」の在住

する地域も北海道から四国まで広くに亘っていて、日常的に顔を合わすことが出来ないが、継

続する年月と作品を通した信頼が基盤にあって、言葉の交流が出来るのだと思う。得がたく大

事なことである。

十一月に文学散歩で出かけた「靖国神社」についても、小泉首相の八月十五日参拝を中心

に、今年ほど話題に晒された年はなかっただろう。評論の類から漫画、案内まで、多くの神社

関連本が出版され、話題づくりのなかで、右傾化する政治の勢力は、教育基本法と憲法改悪

に結びつく、自衛隊の省への昇格、憲法改正手続きのための投票法案の決議などが、圧倒的

多数を占める国会の与党の強引な進行によって、続々と国会を通過しようとしているのは、末

世的な雰囲気を作り出していて不気味である。

教育関連で、連鎖している「いじめ自殺」も、単なる〈いじめ〉という語で括られるべき状態では

なく、

その多くは、犯罪そのものである。学校を舞台にしているからといって、何もかも〈いじめ〉で括

ってしまうことの欺瞞が、綻びから漏れ出しているのではないか。教育基本法のための〈タウン

ミーティング〉を巡るとんでもない〈やらせ〉問題も、多数を握る強権の現われであり、国民を主

権とする憲法の精神をないがしろにする政府・官僚の普段の行為の現われでもあり、

衣の下の爪が見えたということでもあり、なりふりかまわないその行為は決して許してはならな

いことであろう。そういうこともあり、「教育基本法改悪に反対する詩人の共同アピール」の呼び

かけ人の一人に加わることになった、また緊急の同アピールへの賛同を求めることに声を挙

げていこうということですので、是非とも賛同をお願いしたい。

 今号の特集「プラスチック」は恐らく、同人各位の捕らえ方にバラツキが出るだろうと、少し心

配になって急遽「回覧連詩」を行うことにした。連詩は初めてのことで、案外面白がって取り組

んでもらえたようだ。

原稿締め切りまでにきちんと回覧されて、戻されてきた。このようなライブ的な試みは、どう動く

か分からないところに面白みがあるので、同人にも、読まれる方にもどのように言葉が動くの

か楽しんでいただければ幸いです。

(葵生川玲)