受贈詩書2018


時事に関する批評・エッセイを自由に書いている。

時の眼



●世界遺産「知床」ぐるり周遊の旅
10月23日〜25日ウトロの「知床グランドホテル北こぶし」に二連泊で周辺をめぐる旅は、北海道生まれの者にとっても、雄大で、荒天のオホーツク海の厳しさと、雪が降る気候の中でゆっくりとした気分で過ごすことができた。食事はバイキング方式だが、種類も多く、豚しゃぶからステーキ、いくらの醤油づけや、勝手盛りは、酢飯に刺身や加工した魚、ほたて、イカ、マグロ、サーモンの刺身ほかを自分で盛りつけるもので、初日には盛りすぎて食べ残しそうになったほどだった。
朝食もなかなか充実していて、やさいのしゃぶしゃぶも人気があったけれど、ジェラートや牛乳、デザート類ともあって、とても良かったね。添乗員に教えてもらった北海道のコンビニ、セイコーマートで飲み物を購入して部宴会でした。なにしろサッポロクラシック500が291円、ホテルの自動販売機490円、食事のホールでは税込810円なのだから、大きな違いだ。店まで少し寒いけれど24日は夕方4度とのことで、雪も降っていたけど。温泉は充分に広くて、泉質は塩分がかなり濃い感じ、低温、中温、高温と別れていて、露天風呂もあり、ウトロ漁港と海が見えていて、申し込んであったクル―ズも中止で、港内の船はまったく動かずであった。
とにかく23日、24日は日中6度から8度、25日は朝から晴天で大分暖かったけど、15度くらいだったか。


●「モネ展」へ
三連休初日の上野公園へ出掛ける。駐車場に車を止めて、地上に出るといきなり凄い行列に遭遇、凄い混雑に驚いたが、上野も結構行列がある。
どうも、蒼樹うめという人の展示会らしく、恐ろしく長い行列が伸びている。残念ながらその方のことをまったく知らずにいた。現実にこのようなことが起きるのである。漫画家らしく、変わった作風のポスターが掲示されていて、行列でなければ入ってみたいくらいだ。
東京都美術館の「マルモッタン・モネ美術館蔵ーモネ展」は、これまでの展示で馴染んだものから、デッサンなど、21年ぶりと言う「印象。日の出」は18日までの展示、20日からはむ「サン=ラザール駅」に替わるとのことで、カタログも二種類が販売されている。(一冊2400円)。良く知られている「睡蓮」の連作から、晩年の赤を強調したような作風に驚かされたが、そこから画家の人生が読み取れるのかもしれない。



●緊迫の安保法案をめぐる動き
9月17日参議院安保特別委員会は、緊迫していたが、野党五党による鴻池委員長の不信任案提出とその採決の終了と、当初から予定されていた、委員長職権による総括質疑がなされないまま、突如与党議員たちによる、委員長を取り囲んでの(防衛のため)法案採決(したと言っているが、議事録に聴取不能と記録)したされるが、野党委員は認めていない。手続きの悪い、きちんとしない、賛成票も確認しないもので、この方式が通れば多数決の横暴で、何でも通ることになる。
この国の、民主主義は破壊されたと言っていいだろう。憲法をやり過ごしたところで、解釈によるそれも内閣の閣議決定を優先するのは、戦前・戦中の天皇主権の憲法下の在り方であり、現憲法下の国民主権あり方と真っ向から対抗するものであって、多くの憲法学者や裁判官、元法制局長官が憲法違反だという明白な根拠である。
9月18日夜にも、本会議採決とのことだが、この日が、政治の恥ずかしい記念日となるにちがいない。

●北陸新幹線開通に伴い・奥能登へ
3月26日から3日間、北陸新幹線を使い、「奥能登」へのツアーに出かけた。富山からはバスでの三日間の旅である。能登ロイヤルホテルに連泊で、能登を全周するもので、ローカル列車にのったり、遊覧船での奇岩探索や、何キロもの海岸線の波内際のドライブ、北前船の基地、千枚田、珠洲の揚げ浜式製塩所、途中には、問題になっている志賀原発が見えたが、珠洲は住民投票で原発設置を拒否したところでもある。この春からNHKの連続ドラマの舞台でもある、輪島では前宣伝で賑わっていた。
まだ、3月の段階では、北陸新幹線の開通に沸く、金沢とは違って、まだまだという感じだった。帰りは長岡から上越新幹線のグリーン車でしたが、北陸新幹線よりも快適でした。

●7月  富士山五合目と桃狩りに出掛ける


●上村としこの七回忌で北海道・滝川へ
8月5日から8日まで、上村としこの7回忌法要で、北海道滝川市へ出かけた、初日は旧道庁前のホテルKKRに宿泊、レンタカーを借りて、出かけ、弟宅にて法要、翌日は市営墓地に墓参り、5年前に青梅で亡くなった藤田和久氏の墓参に、空知太の北の泉岳寺に出掛ける。雨模様ながら小雨で気温24度は、少し肌寒いくらいのものだ。墓参の後、松尾ジンギスカン本店で食事、ジンギスカン4人で8人前を食べる。中学校の時から食べなれている味だ。レンタカーで札幌に帰着、ホテルの地下和食「弥勒」で、増毛の純米酒「国稀」と千歳鶴酒造の「柴田」を飲む。江部乙「大門」の味噌ラーメン、札幌「コロンボ」のチキンカレー千歳空港でサッポロクラシックの大ジョッキと、一通りは飲み食いしたが、もう大した量は食べられないことを痛感した。

●赤羽の桜も開花
3月26日午後、今日も暖かいので、昨日の靖国神社の標木にきっちり5輪の開花を認めての気象庁の発表を受けて、赤羽の桜並木(旧保健所通り)に出かけてみた。周囲の木はまだだが、陽の当たる木の幾本かは、もう花を着けていた。満開になるのは4月3日位になるだろうか。



●第五期沖縄意見広告に参加
昨年の第四期に続いて、沖縄意見広告運動に参加することにした。「秘密保護法」の強行から、沖縄の自民党議員を横に並べての石破幹事長の強引な新基地設置(もとあったところだから新基地ではないと元米軍のメイヤー氏や自民党関係者はいうが、名実ともに最新で強大な機能を持つものである。)強行の説明とと500億という莫大な税金を投入し、沖縄県知事に基地建設の承認を迫り、窮した知事は病気入院の始末であった。しかし、辺野古への基地建設に反対する地元の名護市長選で稲嶺進氏が圧勝するなど、アメリカに追随するこの国の自民、公明の連立政権の真っ当な反対意見は広まりつつある。
海外の識者29氏の「辺野古移設中止を」の声明がでるなど、国際的な反響もでている。


●日本現代詩人会が「秘密保護法」に反対の声明を発表
日本現代詩人会は、11月24日緊急の臨時理事会を開催、現在審議中の「秘密保護法案」に対して反対の「声明」作成、25日に各政党、新聞各紙、詩人団体、全国月刊詩誌に向けて発送しました。
声明は次の通りです。

声 明

 私ども日本現代詩人会は、第二次世界大戦敗戦による終結後5年の昭和50年に、詩文学と精神の
復興を願って詩人有志によって創立されて63年になる全国に1000名余の会員を擁する詩人団体です。
 戦争による無惨な廃墟から、国民主権の憲法のもと、戦後民主主義のなかで、社会の革新と文化の豊かな創造的な活動を進めてきました。
 しかし、今回の安倍晋三自民党と山口那津男公明党の連立政権によって、国会に上程され、審議されている「秘密保護法案」の内容は、私どもが戦後一貫して拠り所としてきた、国民生活の根幹である日本国憲法を改定する意図の元に進められており、憲法の精神に反し、明らかに私どもの生活を脅かすものです。
 安倍政権のいう「積極的平和主義」は、戦争に向かう言葉のロジックで、米国の国家安全保障会議(NSC)に対応する日本版NSC(国家安全保障会議)、特定秘密保護法、集団的自衛権行使が3点セットで、日本を戦争が出来る国に変えることを目的とする背景があることが感じとれます。
 何よりも、「特定」の秘密の範囲が曖昧で、防衛に限らず、原発、テロなどの名目によりその適用範囲が無限に広がり、官僚だけでなく罰則が多くの国民に及ぶことも懸念されます。
 情報公開が世界の潮流の時代に、私ども日本国民の知る権利を著しく制限する「秘密保護法」は、戦前の「軍機保護法」「治安維持法」「国家総動員法」による戦争体制への知らぬ間の移行を想起させて不安な感情を掻き立てます。
 私どもは自由な創作と発言を制限されかねない危険な「秘密保護法」の成立に反対いたします。
2013年11月24日
                                  日本現代詩人会理事会
                              会  長 財部鳥子

                                          理事長 北畑光男

 福島での公聴会の模様は、「東京新聞」朝刊でも掲載されており、26日夕刊では、「賛成ゼロの公聴会翌日、秘密法案、採決強行」とあり、朝刊の見出しでは、「与党推薦者も強い疑念」と一面見出しに置いてある。
 自民党と公明党の連立政権に、みんなの党が特別委員会採決に賛成し、修正の度に内容が悪くなるなど、これだけ政党、法曹界、著名なジャーナリスト、民間の団体が危惧し、反対を表明している中で強行したことは、許されることではない。
 昨年の総選挙時に「ねじれ」の解消を大宣伝、その動きに加担してきた、マスコミの責任は重大である。
その結末は、憲法改定と戦争のできる国づくりであることは、今回のことで明瞭になったと思う。

●そんなバナナ
11月12日(月)近頃バナナが安くなったと思いませんか。
スーパーの目玉で、一房98円とかで、買い物のついでについ買ってしまい、冷蔵庫の中でいつしか全身黒くなって食べられないということを繰り返していてももつい手を出してしまう。小さなころの食べられなかったバナナ信仰があって、ある種の心の貯蓄感覚なのかもしれない。
そんなところに、この間は10本もあって56円ということがあり、特売かと思っていたら、このところ普通のように一房78円が続いている。安いには越したことはないが、これには深い訳があったのです。
ひところの中国との間に、レアアースの売り惜しみや値上げ、通関のさぼりなどで、随分と嫌がらせが続いているが、また、尖閣問題でも、さまざまな嫌がらせが続いていて、嫌な思いが募っている。
今度のバナナ問題の根も、中国とフィリピンとの領土紛争が原因で、大量のバナナの輸入を止めたこととのことである。困ったフィリピンのバナナを日本に振り向けたので、相場が下がり、安く手に入ったということなのだ。しかし、自国にだって、バナナで食べている業者もいるわけで、中国との間で商売をしている人たちにとって迷惑な話だ。中国で商売をしている日本人の店で、「尖閣は中国の領土です」という自衛のための赤い旗を掲げるのは、いかにも理不尽な行為なのか、社会主義の理念と正義を、あのひな壇に並んでいる次期指導者たちは考えるべきだ。

●新橋界隈
5月18日(金)新橋SL広場で待ち合わせということで、中学三年のクラス会(3年D組・その当時はHクラスまであるのがふつうだった。)の東京・ミニ・クラス会があったので、待ち合わせの夕方5時に出掛けた。女性5人を含め11名の参加で、新橋赤レンガ会館の中の京都風な居酒屋が会場で、京都らしく細長い部屋で、背後を通り抜けるのに大変な思いのする店だった。
東京近郊からは、東京、埼玉、神奈川など4人、北海道からは7人という具合で、3日間の予定を組んでの上京であったが、早生まれの小生の他は70歳になっているわけで、それにしてはみんな元気。当日持って行った卒業アルバムを肴に、次第に昔に戻っていくようだった。
翌日、子どもの運動会で、二次会は失礼して7時30分ころに別れたが、駅までの道々、盛り場の混雑そのもので、驚いたのは、新宿歌舞伎町以上に黒服の客引きが多いのに驚いた。歌舞伎町もあまりにも煩いので通りを避けたりもしたが、新橋は少しは控えめながら、通りの両側に並ぶくらいの多さだった。どうも、聞いていると「ギャバクラ」の客引きのようで、久しぶりの盛り場の雰囲気も、祭の中にいるようで楽しんだ気分になっていた。
普段、車で行動し、電車も月に一、二回しかで乗らないので、電車の車内の様子や、箱の中の人間の生態も含めて新鮮な見聞であった。 

●中国米の発売
スーパーの西友がこのたび中国産米を発売すると発表し、第一回の発売を3月初旬にしたが、3月12日に恐る恐る買いに出かけたところ、次回14日の予告を貼りだして棚は空になっていた。売れ行きは順調のようだ。小生も、西友が売るのだから出す丈夫だろうと、14日に出かけ、大量に展示されているのを見て、最初なので、1.5キログラムの小さな袋を購入、449円。5キログラムでは、1250円とかですので、大分高くなる。値段はともかく、普段食べている米(北海道産のななつぼし)とまったく見た目では区別がつかないくらいで、早速通常の白米の炊き方で、炊飯器で炊いてみた。炊き上がりの匂い、感じは若干艶がないかなと言う位のことだが、味はそれほど変わらないが、少しぼそぼそという食感で、現在の販売価格では続けて買う気にはならないと思う。不安な気持ちと国内産米への影響、味という面で、やはり二の足を踏むことになるだろう。
袋には、精米12/3/10、販売者・ヤマタネ、複数原料米・中国 10割、中国の東北地方(昔の満州)の吉林米とのことで、積地検査、着地検査で580項目の残留農薬検査をへているとのことである。しかし疑問なのは、今回の西友が売り出した値段が非常に高いと思われるが、日本政府の輸入制度(SBS制度)に基づき輸入されているとのことであるが、関税の問題がここにはあるようだ。現在論議され加入するTPPが実行されれば、米国産米、豪州米、インドネシアなどから日本農業の技術を導入したコメが雪崩を打ったように流入してくるのではないか。その先駆けとしての中国産米の発売だが、その事態には、価格は半値以下になることが考えられる。TPPによって日本の農業が壊滅的な影響を受けるという危機感と反対を言う人達の感覚がよくわかる。何よりも、現在の検査体制を外して輸入されてくるからでもある。オソロシイ事態が近づいている。


●障害者基本法成立について
7月30日
7月29日参議院本会議で、障害者の基本的人権を明記するなど、障害者施策の基本原則を定めた障害者基本法の改正案が全会一致で採決され、可決した。
しかしながら、当事者参加の大原則が貫かていないことや、今後制定される障害者総合福祉法への影響などもあり、改正案は、障害者が社会生活を営む上での障壁を除去する「合理的な配慮」を行う努力義務を明記したが、一方で、最終的に「可能な限り」とする文言が6ヶ所に挿入されるなど、官僚たちの工作が認められるように感じたが、マスコミの対応、報道は全く許せないほどのものだ。
「読売新聞」は、30日朝夕刊とも一行もなし、「朝日新聞」のネット部分もなし、テレビも報道なし、「赤旗」は4面に、田村智子議員の質疑と「可能な限り」の文言の「削除」を含む修正案を提出したことが記事になっていた。
ことほど、弱者や国民の生活の根幹にかかわる施策に関して、審議はたった一日だけなど、不十分極まる
多くの課題をのこたまま、「障害者自立支援法」を廃止した後の新法・障害者総合福祉法(仮称)制定や差別禁止法制定に向けた議論を深めなければならない現在、政府の対応もマスコミを含めた国民への広報もまったく不十分である。
「可能な限り」の文言の、6箇所に及ぶ挿入は、後日その内容と文言への影響を検討することにするが、一般的にいって、否定のためのものであることは明らかである。これが、彼らの常とう手段であることは、今一度考えておくべきことである。

●お知らせ
5月5日までの文章は、詩誌「飛揚」53号(「飛揚同人発行」)に掲載いたします。「飛揚」のページをご覧ください。有力な詩人の作品とともに。エッセイ、書評、近況などが収録されています。
ご希望の方は、メールにてお申込みください。1冊500円です。


「東日本巨大地震」関連のことで、やはり発言しておかなければならないことが多すぎる。
政府と東京電力との関係、そして保安院という存在。
さらに、マスコミの問題。
原発の存在と住民。
これは、全く政府、資本、人的な利害得失が無い者の立場での、大地震が発生以後の、テレビをはじめとするマスコミ主導の情報に
現れている問題点を指摘することにしたい。〈3月15日〉

●池澤夏樹発言について
7月22日
朝日新聞7/5夕刊に執筆している「終わりと始まり」は、このくにの政治と菅首相の現在についての言及があり、注目されている。週刊誌、テレビ、夕刊紙らが口を極めて、政権に居座る姿を面白おかしく辛辣に菅首相の退陣への道を求めているのは、最早個人攻撃そのものである。何故なのか。
政治と経済はすべてパワーゲームなのに、当事者の姿が見えない。
間に介在し、常にその強い側に味方するマスコミの声だけが、国民に向かっている。
池澤の「あまり勘ぐりたくないと思いながら、この「政局の混乱」というのは要するに、電力政策の転換への抵抗が理由なのではないか。主体は産業界、経済産業省、自民党ならびに民主党の一部であるのだろう。」は、まさに正鵠なのではあるまいか。
「政府のエネルギー計画の白紙撤回」
「再生可能エネルギー特別措置法案の成立」 
「浜岡原発の停止」
「発送電分離」
「一千万戸のソーラー・パネルの設置」
これらの提案、実行は、被害にあったものと、被害をうけつつある者にとって最低限の、方向性を示すものであって、これらが実現すると、この国の将来を決定づける政策転換となる。
1960年代に、石炭から石油への否応ないエネルギー政策転換を体験した者にとって、今後晒される変化は大きな痛みとともに、庶民だけでない、企業にも覆いかぶさってくるに違いない。
丁度、「赤旗」7/22付に、7/20外国特派員協会で行った講演「原発事故の教訓は何かー三つの角度から考える」と一問一答が掲載されていて、その原発による、これまでにない回復不能な「異質な危険」と電力会社、鉄鋼、セメントメーカー、大銀行などの大企業、原発推進の政治家、特権階級、御用学者、そして一部のメディアによるペンタゴンを構成する「原発利益共同体」といい、広告料によって取り込まれた大手メディアの存在、菅首相の「脱原発発言」をまともに認めてはいないが、取り組むべき再生可能エネルギーの量と代替エネルギーへの転換のプログラムを5年から10年以内にと大胆に提案している。
ペンタゴンに何の顧慮もせずに、国民の利益を優先する立場であれば、日本共産党の発言と提案は、とりあえずの菅首相の現状進展と停滞の間に、しっかりと「原発撤退」の国民運動を視野に入れて考えてみてもよいのではないか。
現在のメディアの異常は、これらの根から発していることを考えると、一時の個人的な(扇情的な)溜飲を下げるだけのことであってはいけないことを、冷静に見たいものである。

●松本龍復興相の態度
7月4日
テレビ各局は繰り返し、松本復興相の何とも言いようのない態度にあきれ果てた言動を伝えていた。
宮城県知事との間に、会見場に遅れて入ってきたことをとがめ、挨拶の握手を拒み提案書を受け取りながら、むしろ
自分を待たせたことへの、不満を「長幼の序」ということで述べ立て、その後の居丈高な物言いは、人の上に立つものの態度ではなかった。私が感じたように、村井宮城県知事相当も相当不快に思ったと思う。
「九州の人間だから、東北の何市がどこの県とか分からん」これは冗談ではないだろう。傲慢無礼である。
物言いは、すべて命令口調で、「長幼の序」を受けるべきものの態度とは思えない。あんな上司がいたら、いつか足を掬われても助けないだろう。
4日昼、の記者会見で、当の松本復興相は、「私は問題なかったと思う」と述べている。
これは、まったく救いようのない人間だ。
菅首相の任命責任も問われるが、ここで野党との間で空転する国会の火種が増えたことになり、即刻首を飛ばせなければ収まらないだろう。
民主党には、ホトホトあきれ返ったものだ。


●数字の魔術と背景
6月8日
福島原発の政府発表、保安院発表、安全委員会発表とその都度の数字の裏付けを追い切れる者はほとんどいまい。それが、一つの意図をもって、権力を握っている側から仕掛けられているとしたら、まったく成す術がないのは当然のこととしてある。
そこで、その真実の数字が表れる場合、権力者の側の内部抗争、叛乱等によっての内部告発、重大な国民への裏切りに対する正義感からの暴露があるが、電力の特に「原発」を核にした巨大な推進・維持構造は、政治・官僚・経済・学・地方行政の複合共同体の本質は、政治家、会社経営、金融、庶民の日常生活の根元にまで及んでいて、命がけでなければ、何らの発言もできない状態である。
ちなみに、タレントである山本太郎氏の問題がある。テレビのレギュラーを持ち政治経済問題にも、コメントを発することがあったが、例の子どもの放射線量20ミリシーベルトの件で、強く1ミリシーベルトにという意見を述べたところ、その番組から外され? とのことで、その関連で、お子さんの保育園だったか幼稚園の運動会に参加している画面が流されていた。これなどは、山本太郎氏の子どもを思う本音の発言だったと思うが、ここには確かに、社会の中心を通貫する資本の論理が強く作用していると思われる。

●政党助成金を被災者支援に
5月5日
外国からの支援金や支援の申し出でが相次いでいて、「情けは人のためならず」と改めて思うが、毎年の巨額のODAの拠出が、不景気の続くこの国の一部から、見直しの声があがっていたことを思うと、経済的な功利主義が、国際的な問題の何も解決しないことを示している。
それにしても、この国の政党(数ある大政党も、少数政党も)は、問題のある『政党助成金』をもらいつつ、企業献金、労働組合からの献金、さらに個人の資金パーティの開催とやりたい放題であり、先頃の中間支払いには、この重大な、庶民の被災者支援の動きの拡大、ボランティアの広がりが大きな運動になっているとき、そこにはほおかぶりをして、密かに受け取っていたというから、どのような面の皮をしているのかと思う。このようなときに、率先して行動に出るべき政治家たちが、こんなことだから尊敬されないのだと思う。
マスコミも、知識人たちも意見の一つも言うべきなのだろう。
なにも全額返納しろと言っているのではない、こんな時だから、3割国庫に返納するといえば、菅総理も点数が上がったと思う。
日本共産党は、政党助成金に反対して、一度も受け取っていないというではないか。逆に、日本共産党に、今回は被災者救済のためと言って、受け取って全額被災県に渡すというのはどうだろうか。使い方も、随分といい加減に扱われているそうだから。
官僚たちのいかにも法律的な言質が飛んできそうだが、要はどれだけの心があるかということだ。

●原子力ムラをめぐる権力闘争
4月29日
最近は、原発関連学者の出る幕が少なってきているが、けっして福島の状態が安定してきているとは思えない。当初の東大系列の公的な肩書を持つ教授たちの言説が、どうにも事態の進行とともに、本当か?という現実を浮かび上がらせてきたからであり、また一方で、別な論説を張る京大系列・別な人たちとの確執も見え、何人かの登場する学者の肩書が、60歳になって「助教」や講師であることに違和を覚えた。通常で考えれば、その年齢まで講師や助教の肩書で大学や研究機関にいることが不思議なことなのではないか。そこにあるのは、国立大学の熾烈な権力闘争の結果なのではないかと、むしろ、国家権力の推し進めるエネルギー政策と膨大な予算と生み出される経済利権に結びつく経済構造なのではないかと、そこには行政も含んだ地域エゴとそこに群がる人々の果てしなく蠢く「原発ムラ」の存在があきらかになってきているのではないか。あれほどテレビやマスコミの中で電力やクリーンエネルギーの原発に提灯を持っていた、学者や芸能人の反省やお詫びのコメントを聞いたことがないのも哀しいものだが、一転して「がんばれ」「絆」を叫ぶ人たちの心根と、大本営発表と翼賛体制に踊った戦前・戦中の知識人たちの姿が、そこから浮かび上がってくるように思われる。のも、無防備にわが世の春を謳歌してきたツケが露呈したように思われる。


●いよいよ海洋投棄
4月8日
4月7日夜11時30分ころ、さて寝ようかなと思っているところに、地震、かなり大きい、ラジオのニュースでは津波の警報を発している。すぐに到達1メートル。第二波、第三波の警戒も呼びかけている。私と言えば、図太くも、ラジオを聞きながら寝むってしまったのだが、翌朝のニュースでは、ゆはり宮城を中心にかなりのけが人が出る被害が報告されていた。
一方で、福島第一、第二の原発の猶予ならない現状も、東電の訳の分からない説明と状況報告があって、低レベルとはいえ(誰が信用するのか)の海洋への投棄が始まり、外国も含め様々な意見や批判やが巻起っている。
タンカーに貯蔵するだの、浮島(ドック)に貯めるだの、窒素の注入、全体を水に浸す「水棺」だのと、この際の実験をするような処置が進められようとしている。
海洋投棄については、3日前にアメリカとの協議のうえ了解を取ったとの報道があり、IAEAではなく、まずアメリカである所に、このくにのべたべたな政治家の意識がある。
「放射性物質は海中に拡散するので問題ない」と米国高官のメッセージを受けてのことだということだ。
漁業者や自治体への報告、説明ではなくそれが行われてしまうところに、今回の原発事故(人災)の本質があると思える。
これで、東北の海は数年間にわたって、収穫が絶望的になったことになる。
核汚染水の海洋投棄については、意図的に投棄が行われるのは、今回が初めてのことで、国際的な問題に発展する可能性がある。この国の亡国的な、原子力安全・保安院の見解は、「ロンドン条約では、船や飛行機からの海洋投棄を禁じているのであって、陸上の施設からの放出は該当しない」としている。つまり、この見解は、対外的な国際関係を踏まえての外務省の考えと一致することで、実質的な条約の言葉にない抜け穴を探してのことで、国際的に通用することではない。私たちは、犯罪的な恐ろしい国に住んでいることになる。

●自粛自粛の声のあらし
4月3日
すでに発表されている数多くの自粛ムードの連鎖は、どうなのだろうか。
多くのイベントの中止は、いささか過剰にすぎるように感じられる。中止に替わって、募金、支援を求める催されるチャリティの催しも何か一様な動きが目立つようで、気になる雰囲気である。
案の定、花も咲き出した公園に、無粋な立て看板が目立つように並べられている。
選挙中の石原都知事や副知事の意を受けた公園管理事務所が建てたとのことだが、とんでもないことだと思う。上からの自粛の強制などすでに賞味期限の過ぎた知事らしい、庶民意識の欠けた人物らしいことだが。テレビ報道も遠慮がちに花見をしている映像を流しているが、これはどうかと思う。桜前線はこれから北上し、震災の地にも次第に花をさかせることになるだろうが、この花のリレーは、日本人の心の現れを伝える、自然・風土と一体化した生活・心情であり、それから眼をそらすことが、どれほどの鎮魂・祈りになるのだろう。
私たちは、春に先駆けて、咲く花の力強い生命力と美しさに、生への希望を見出して来たのであり、今回の震災に際しても、日本の花である「櫻」にこそ、再生と復興への意志を受け取り、力強く前を見るべきシンボルとしてしっかり見つめるべきでないのか。
花に勇気づけられるのは、被災地の人たちだけでなく、通常に生きる日々と現実の生活に不安を覚える庶民であることを、余計に感じるのである。
いち早く、「三社祭」や「東京湾大花火」の中止、「隅田川花火大会」は検討中とのことだ。もともと夏の花火は、亡くなられた方々への鎮魂のための行事であり、その本旨を失ってきたから中止などの論議が出るのであり、本来の在り方に戻れば何の不思議もないことであろう。


●震災の名称について
4月3日
4月に入って、政府は閣議で、3月11日の震災の公式名を「東日本大震災」と定めたとのことである。

●震災の名称について
3月28日
それこそ未曽有の被害の規模と拡がりで、被害死者は何人になるか、現在発表されている人数を大幅に上回るに違いない。原発の20キロ圏にある地域は、遺体の収容作業さえできていないだから。その地域で1000人とさえ言われている。
しかし、テレビ報道、新聞、週刊誌などでの、当初、気象庁から発表された地震の命名は「東北地方太平洋沖地震」であったが、現在散見されるものとして「東北関東大震災」があり、新聞、週刊誌等の使用では「東日本大震災」が多くなってきている。
NHKは一貫して、気象庁発表の「東北地方太平洋沖地震」を使用しているが、長いのと、言いづらいこともあるのか、「東日本大震災」が次第に全体を顕しているように感じられる。
原発事故は、地震と津波だけではなく、それを拡大する人災である側面が強くなりつつあり、「計画停電」というそれこそ、東日本の広い地域を巻き込んだ被災の実相を拡げている今、その呼称の方が実態を示しているように思われる。
正式名称と、通称で呼ばれることがままあるのだが、今回は「東日本大震災」に統一した方が良いように思う。

●ACコマーシャル
3月26日
流石に、2週間に及ぶCM自粛とお笑い番組と通常番組の無いテレビ放送は、昭和天皇崩御の際の自粛とその空気は似ている気がする。私たちを巡る情報環境は、インターネットを始め、携帯電話の幅広い流通は、さらに衛星放送やケーブルテレビ、海外放送と選択子が沢山ありそうで、今回はあまり有効に活用されたという感じではな。通信の中心である固定電話が極端に減っており、携帯との複数の回線が機能しなかったことによる。
政府発表の枝野官房長官、東京電力、保安院の会見とそれを巡るテレビ各局の特番、ニュース番組と連日めまぐるしいものだが、原発の事故に報道の中心がおかれ、きめの細かい震災報道が遅れていたように思われる。
一方で、ACのコマーシャルが連続、3、4種類が繰り返し流れていて、私のようなテレビ人間は、CMも視聴対象の一つなので、雪崩を打つように迫ってくるものは、直ぐにそれから精神的な負荷を受けるのである。
しかし、金子みすずの作品そのものは、責められるものではなく、その作品集は、99刷は5000部で、通算100万部を越えている。100刷は目の前とのことである。
CMの在り様は、それなりの取り決めがあるようだが、今回のような電力事情もある場合、テレビの放映時間の短縮や、各局の持ち回り、当番放送なども検討してもいいかもしれない。
おおよそ、26日には、番組もほとんど通常放送になり、お笑い芸人の登場する番組も登場しているが、これまでのお笑芸人に占拠されたテレビにうんざりしていたが、なにかほっとする気がするのも、日常がいかに雑にあったのか思い知らされている。

●世論のコントロール
3月16日
それこそ、未曽有の惨事がおきてしまったのだが、それに増して連日の原発関連の、連続報道、マスコミの垂れ流しといってよい状態はどうしたものか。取り残された住民と病院ではなく。
〈福島原発の上空飛行禁止〉素早い対応だが、何のためか、分かるような気がする。
原子炉の情報を流す時、爆発前の映像を置いて、炉の図を使うのが当たり前になっているが、唯一爆発後の映像を提供していたのは
外国からのもので、おそらく衛星写真だろうと思われる。現在は、人間一人まで映せる能力があるのだから、ヘリコプターで上空を飛ぶ必要がないのに、〈飛行禁止空域〉の素早い設定とは何か。
そして、一体の死者の姿も、負傷者のすがたも見せない報道とは何か。
荼毘に付される様子も映されない被災者の本当の姿とは。
それらの人間の悲しみを隠して、連日1号炉から始まり、3号炉、2号炉、点検のために停止していた4号炉まで、毎日毎日次々と連なっていく事故は、どうしたものか。5号炉、6号炉に危険はないのか。
1号炉の時に、あとの炉に危険は感じなかったのか。
東京電力の無知・無策はどうしょうもないものだが、保安院はどの立場で当るのか、危機に関して、政府の官房長官は東電の発表を代読するかのような、状態は、結果的に国民を裏切ることになっている。
政府は、根本的な対応をする責任があるのである。一企業の利益に振り回されるのは、結果的に国益を損するものなのだ。


●自衛隊の偽情報
3月14日午前11時少し前
5chテレビ朝日「スーパーモーニング」で、キャスター赤江さんが、自衛隊からの情報として、〈5メートルの引き波〉があったので
警戒するように呼びかけていた。津波で壊滅した地域に人がいるから、早く避難するようにと絶叫するように呼びかけていた。
他の映像は、湾から外海に向かう複数の自衛隊艦船を映していた。コメンテーターの学者は、訳知り顔に、〈低いところからでも
津波は起きる〉と言っていたが、ほとんど意味のわからないものだった。
その直後に、3号炉の爆発が報じられたのだった。
随分経って、気象庁の横山さんが、憮然とした顔で、そんなデータはない。と記者会見で話していたのは印象的だった。
あの、自衛隊からの情報というのは一体何だったのだろうか。
翌日の新聞には、米空母レーガンの情報として、救援から戻ってきたヘリの乗員を放射能検査したところ、被爆していて、すぐさま
除洗処置を施した。さらに、レーガンは風下から風上に位置を変えたと書いてあるのだ。
ここから浮かび上がってくる疑惑は、3号炉の危険を察知した自衛隊が、マスコミに偽情報を流し、作業中の艦船を逃れさせたのでは
ないかという疑いである。どう答えられるのだろうか。赤江キャスターはどう納得出来たのだろうか。